3年前に、アメリカの父が亡くなったという知らせを姉から受けた日のことです。自分のEメールのボックスを開いてみたところ、ある匿名の人物からメールが届いていました。
「ゴキブリ。死ね。」
このショッキングな言葉に悲しみと戸惑いを感じながら、「誰が、どんな目的でこんなメールを送るのだろうか」と考えました。
アメリカでは、大きな社会問題となりつつある、こうしたインターネット上のいじめ行為を「トゥローリング」と呼びます。「トゥロール」(troll)という英語から来ている言葉だと思われますが、トゥロールとは北欧伝説に登場するいたずら好きな小人のことです。トゥローリングする人間たちは、特に家族を失った人々を狙って、家族のブログなどに卑劣な書き込みをします。その目的は、人々のリアクション(反応)を見て楽しむことだと、専門家たちは分析しています。
先日、自殺で17歳の娘さんを亡くした両親のところに、次のような内容のメッセージが殺到したそうです。
「こういうケース、大体、バカな親が悪いんだよなー。」
「あんなだらしのない女は、死んで良かったよ。」
「いいきみだ。」
両親は悲痛な面もちで、テレビのインタビューに答えて、精神的ショックを語っていました。言うまでもなく、トゥローリングをする者は、偽名を使ったり、あるいは匿名で書き込んだりするので、居場所を突き止めて法的に罰することは非常に困難です。自分の正体を隠しながら、人を苦しめる。ここに、この問題の根の深さがあると言えましょう。また、トゥローリングは人間の心の罪の深さを示しているとも言えるでしょう。つまり、人はトゥローリングによって、自分の心のうちにある憎しみや恨み、怒りや妬みを噴出しているのです。通常の人間関係の中で、相手に対する恨みなどを抱いても、その感情を露わにすることはありません。何らかの法的、社会的制裁を恐れるからです。自分に不利益なことをもたらす行為は慎むのですが、決して心の中の恨みや憎しみがなくなっている訳ではありません。隠しているだけです。しかし、インターネットの世界においては、自分の正体を伏せて、どんな極悪非道なことを言っても、咎められることがないので、心に溜まっているゴミがどんどん出て来るのです。聖書は、この「ゴミ」を「罪」と呼んでいます。
「また言われた。『人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。』」(マルコ7・20-23)。
「ああ。主に自分のはかりごとを深く隠す者たち。彼らはやみの中で事を行ない、そして言う。『だれが、私たちを見ていよう。だれが、私たちを知っていよう。』と。」(イザヤ29・15)。
そのまま、現代人に当てはまる聖句ですが、人間の心は実に、腐り切っています。あなたはどうですか。トゥローリングはしないかも知れませんが、心の中に汚い「ゴミ」はありませんか。自分の罪を認めて、十字架上のイエス・キリストを見上げてください。あなたの罪のために死んでくださった方は、必ず、あなたに赦しと聖めと、新しい心を与えてくださるはずです。
「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。」(エゼキエル36・26-27)。