意外な者を用いられる神
2020.10.121980年2月29日のこと、世界を震撼させるニュースが報道されました。米国カリフォルニア州において、「ノーベル賞受賞者の精子バンク」が創設されたという話でした。後から「天才工場」と一般的に言われるようになりましたが、創設者のロバート・グラハムは、「知的レベルの低い者ほど生殖率が高い現状は、種族の退化をもたらし、知的レベルの低下は文明の衰退を招く」という独自の理念のもとに、優秀な遺伝子を後世に残すためにノーベル賞受賞者の精子の提供を求め、それを厳重に保管し始めたのです。グラハムの主張した「優生学」は、「生物の遺伝構造を改良することで人類の進歩を促そうとする化学的社会改良運動」とされていますが、当時、「ヒトラー主義」と批判されることもありました。結果的には、1980年から1999年にかけて、「ノーベル賞受賞者の精子バンク」から提供された精子により、218人の子どもが生まれました。その中に知能指数の高い子どもや、秀でた才能を持つ子どももいました。しかし、グラハムのビジョンの実現につながるほどの成果はありませんでした。
グラハムが1997年に死去すると、その2年後、彼の創設したバンクは閉鎖されましたが、今も精子の無料提供をする団体があり、個人的に精子を販売する人もいます。精子は人気ごとに異なる値段がつけられ、ランキング上位はスーパーモデル、成功を収めたビジネスマン、優秀な医者や弁護士や数学者などが名を連ねます。利用者の中に非婚女性、不妊症者、また同性愛者がいます。こうした人工授精が多くなるに連れて懸念されることは、自分の物理学的な父親を知らない、あるいは知り得ない子どもへの精神的影響です。「ノーベル賞受賞者の精子バンク」によって生まれた子どもの中に、情緒不安定な傾向が見られます。また、近い将来、遺伝学の進歩に伴い、「オーダーメイド・ベイビー」も可能になると予想されています。つまり、遺伝子を組み替えることによって、親の希望通りの「知能数の高い子ども」、「スポーツ万能な子ども」、「顔立ちの良い子ども」などがつくれるのです。勿論、科学の進歩は本来、望ましいことですが、倫理的に超えてはならない一線があります。それは、人間が神に成り代わろうとすることです。
旧約聖書のダニエル書に、ネブカドネツァルの話があります。約40年間、バビロニア帝国を治めたネブカドネツァル王は、高慢になったために、その晩年に天からの審判の一撃が下ったと書かれています(4章28―33節)。具体的に言うと、獣化妄想という病気になってしまったのですが、病から回復した後、彼は悔い改めて、次のような言葉を述べています。
「私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。地に住むものはみな、無きものと見なされる。この方は、天の軍勢にも、地に住むものにも、みこころのままに報いる。御手を差し押さえて、『あなたは何をされるのか』と言う者もいない。…今、私ネブカドネツァルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだらせることのできる方である」(4章34―35、37節)
多くの現代の科学者も、ネブカドネツァルと同じような天の一撃をくらうということがない限り、目覚めないのではないかと思います。今こそ、方向転換をして創造主を認め、謙虚に神のみこころを求めるべきです。そうしなければ、人類の未来はないのです。
1 Comment
主よ、わたしの心は驕っていません。
わたしの目は高くを見ていません。
大き過ぎることを わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。
(詩編 131:1 新共同訳)
これに尽きると思います