有名な讃美歌に、『いつくしみ深き』があります。世界中で愛され、歌われている讃美歌です。日本で行なわれる結婚式においても、大抵、歌われていますが、その第2節に、こんな歌詞があります。
「いつくしみ深き友なるイエスは、われらの弱きを知りて憐れむ。悩み悲しみに沈める時も、祈りにこたえて慰めたまわん。」
私も子どもの時から大好きな賛美で、涙を流さずには歌えませんでした。これは元々、1855年にジョセフ・スクライヴェンというアイルランド人が書いた詩で、その13年後にアメリカ人チャールズ・コンヴァースがメロディーを付けたものですが、歴史的背景を調べると、大変な状況の中で生まれた讃美歌であることが分かります。
1844年のこと、神学校を卒業したばかりのスクライヴェン氏は、ダブリンの郊外にある教会の牧師に就任し、今後の働きに対する希望に満ちていました。また、ある美しい女性と婚約をして、楽しい家庭を作る夢も抱いていましたが、結婚式の前日、婚約者は馬から転落して頭を強打し、そのまま川に落ちて溺死してしまいました。言葉では言い表せない悲しみに沈んだスクライヴェン牧師は、神に慰めと導きを祈り求めました。環境を変える必要があると感じるようになった彼は、カナダへの移住を決めます。それから40年間、オンタリオ州ポート・ホープという町で、困窮している人々、特に病人・未亡人・貧困者に仕えることに専念します。やがて「ポート・ホープの良きサマリア人」と呼ばれるようになったのです。彼は、人から助けを求められて、断ったことが一度もなかった、と言われています。
実は、1854年に、再び素敵な女性との出会いがあり、結婚することが決まっていたのですが、結婚式の数週間前に、婚約者の女性が肺炎になり、23歳の若さで帰らぬ人となってしまうということもありました。その1年後に、病気がちで落ち込んでいた母親を励ますとために、スクライヴェン牧師は一つの詩を書きました。その中で、イエス・キリストとどのような関係を築くことができたか、またキリストとの交わりによってどんな慰めを受けたかを証ししましたが、それが『いつくしみ深き』の歌詞になった訳です。
聖書の多くの個所において、「賛美には大きな力がある」という霊的原則が見られます。例えば、パウロとシラスがピリピで伝道している時に、住民の反対に遭って鞭で打たれ、投獄されましたが、その苦しみの中で神に賛美の歌を歌っていると、
「突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった」(使徒の働き16章25-26節)
と記されています。無実の罪を着せられて投獄されているにもかかわらず、賛美を歌うということは人間の常識ではなかなか考えられないことですが、自分の不幸な状況から目を離して神を見上げ、神の偉大な力をほめたたえる時に、私たちの環境がすぐに変わらなくても、私たち自身に変化が現われます。つまり、否定的・悲観的な思いが消え、心に希望が生まれるということです。
賛美の力を知っていたダビデ王も、詩篇の中で次のように述べています。
「わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを」(詩篇42篇5節)
絶望の中で神をほめたたえることは決して容易なことではありませんが、勇気をもって気持ちを切り替え、「神様、私は厳しい状況に置かれていますが、あなたの全能の力や変わらない愛のゆえに、あなたを賛美します」と口で言い表す時に、きっと不思議なことが起こるでしょう。