信仰とは何か
2012.2.16インターネットに隠れる罪の心
2012.2.161968年4月4日、アメリカの黒人社会を震撼させる悲劇が起きました。アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導的役割を果たした活動家マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺されたのです。このショッキングなニュースに深い憤りを覚えたり、絶望したりした多くの黒人は、各地で暴動を起こしました。当時、12歳だった私も、その時の怖さを鮮明に覚えています。「黒人のいる地区に絶対に近づいてはならない」と、親から厳しく言われました。
しかし、こんな心の温まる話もあります。ある白人の家で家政婦として働いていた中年の黒人女性がいましたが、彼女はキング氏の暗殺のニュースを聞いて、その場で泣き崩れました。すると、その家の男の子が、何とか彼女を慰めようとして、言いました。
「おばさん、そんなに泣かないで。きっと、何か神様の目的があって、一番良いようになるよ。」
女性の耳には、腹立たしく聞こえる言葉でした。
「一番良いようになるだって?とんでもない。神様が用いてくださった人がまるで犬のように殺されることが、どうして良いことにつながるの?ヒットラーが600万人ものユダヤ人を殺したことが、何の良いことになったの?誰かがあなたの家に火をつけて、家が燃えてしまったら、祝福になると言うの?王なるイエス様が十字架につけられてしまったことも、悲劇じゃなく、最善だったと言えるの?」
男の子は小さな声で言いました。
「僕たちは、一応、そう信じているけど……」
「どういうこと?」
「ほら、イエス様は、私たちの罪を背負って、十字架にかかってくださったでしょ?それで僕たちが罪から救われることになったんじゃないの?」
女性の涙はピタッと止まりました。そして、次の瞬間、男の子を抱きしめて言いました。
「そうだったんだよね。そうだったんだよね。」
2010年は、どんな年になるのでしょうか。喜ばしい出来事もあるでしょう。しかし、悲劇としか言いようのないこと、期待外れのこと、全く予期していなかったことも起こるはずです。こうした予測不可能な未来に対して、私たちはどのように立ち向かって行けば良いのでしょうか。不気味な運命の力の前で、ただ怯える人がいるかも知れません。悲観的になって、生きる意欲を失う人もいるでしょうが、聖書に目を向けると、希望の光が見えてきます。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ書8章28節)。
この個所で、二つの大事なことが分かります。一つは、神にはご計画があるということです。神は目的をもって、この世をも、私たちの人生をも導いておられます。もう一つは、万事を益としてくださる、ということです。悲劇のように思えることでも、祝福に変えることがおできになるのです。
ちなみに、キング氏の暗殺後、差別のひどかったアメリカの南部において、黒人を取り巻く状況は徐々に、改善されていきました。
今年も、神のみわざを期待しましょう。