少子化問題の根底にあるもの
2012.2.16信仰とは何か
2012.2.16ある青年が、突然の事故で視力を失ってしまいました。そのためにひどく落ち込み、生きる気力もなくなりました。そんなある日、彼のことを心配する友達が声をかけてみることにしました。
「もっと、前向きに考えないと駄目だよ。」
しかし、その言葉に、青年は全く反応しませんでした。そこで、友達は具体的な提案をしました。
「まだやれることのリストをつくってみて。」
「目の見えない人間に何ができる。」と、青年は怒った口調で答えました。しかし、友達は諦めません。
「いいから、僕のためと思ってやってくれよ。今、字が書けないだろうけれども、テープレコーダーに録音すればいい。『私は花の香りを嗅ぐことができる』というような簡単なことから始めて、今できることをリスト・アップして、終わったら、僕に聞かせてくれ。」
青年は渋々、友達の頼みを承諾して、リストづくりに挑戦しました。しばらく経ってから、友達が青年を訪問すると、別人のように、穏やかな顔でにこにこしていました。
「前回よりも、随分、元気そうだね。」
「リストづくりを始めてから、考え方が変わったんだよ。」
「そうか。で、今、そのリストにどれくらいのことがあるの?」
「一千以上。勿論、ごく簡単なことも含まれているけれども、今の自分にできることが何千もあるということが分かった。だからこれからは、できないことでくよくよしないで、できることを一生懸命にやっていこうと思う。」
このような考え方を、一般的には「プラス思考」と呼びますが、私たちの生き方だけでなく、心の健康にも、また体の健康にも、大きな影響を及ぼすようです。更に、周囲の人間に与える影響も、決して小さくないと言えましょう。そのことは、誰もがよく分かっていることですが、問題は、なかなか肯定的な考え方ができないことです。困難な状況に直面した時、思うようにいかないことがあった時、不幸な出来事が起きた時など、どうしても否定的になってしまいます。何もかも絶望的に見えてしまうこともあるでしょう。その時、私たちは限られた視点で物事を見ており、決して現実を正確に把握している訳ではありません。そこで、別の視点を持つ人間から言葉をかけられると、ハッと気付かされることがあります。
「あなたが考えるほど、絶望的な状況ではないと思うよ。」
「あなたには素晴らしい才能がある。」
「大丈夫。何とかなる。」
また、クリスチャンの場合、聖書のみことばによって否定的な思いが一掃されることがあります。例えば、詩篇には、次のようなことばがあります。
「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう」(50篇15節)。
苦しみの中にあっても、助けてくださる神がいると聖書は述べています。その約束を握るなら、思考の転換をして、ダビデと共にこう告白できるでしょう。
「わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」(詩篇42篇5節)。
今日も、神を見上げつつ、肯定的に生きていきましょう。