先日、テレビである討論番組を見ていました。20名ほどの人々がそれぞれ、結婚を肯定するグループと、独身を貫こうとするグループに分かれていました。独身派は、結婚をしたくない理由として、次のようなことを述べていました。
「自分のプライバシーを守りたい。」
「自分の今の生活基準を下げたくない。」
「自分のキャリアを失いたくない。」
「一人でいても十分に楽しい。」
「自分のやりたいことがある。」
一方、結婚派は、家庭を持つことによって生じる経済的な犠牲や不都合な点もあるけれども、それにまさる喜びや生き甲斐もある、と力説しましたが、いまひとつ、説得力がありません。番組が進むにつれて、私は段々とじれったさを感じ始め、まるで、番組に出ているような気持ちで、独身派に対して、どうしてもこういう質問を投げかけてみたい心境に駆られました。
「もし、あなたのご両親があなたと同じように、プライバシーだの、生活基準だの、キャリアだのと言っていたなら、果たして結婚したのでしょうか。結婚しなかったとすれば、あなたは今、この世に存在してない、ということになるのではないでしょうか。」
さらに、もう一つ、次のことを問いかけてみたいと考えました。
「世界中(日本中)の人々があなたと同じ生き方をしたとすれば、人類(日本人という民族)はどうなると思いますか。人類(日本民族)は破滅するのではないでしょうか。」
仮に、このような質問をしたとしても、果たしてどれほど独身派の若者の心に響いたかは分かりませんが、結局、多くの若者が結婚をしない、あるいは子供を作らない最大の理由は、彼らの身勝手(自己中心的)な考え方にあると言えるのではないでしょうか。人間社会の将来のことなど、全く頭にありません。関心があるのは、自分の幸せ、自分の都合、自分の計画だけです。
旧約聖書の創世記に、神がアダムとエバにお与えになった、次のような命令があります。
「生めよ。ふえよ。地を満たせ」(1章28節)。
また、神はこうも言われました。
「人が、一人でいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう」(2章18節)。
このような聖句が明らかにしているように、人が結婚して子孫を残すということは、神のみこころにかなったことです。また、繁栄と祝福への道であると言えましょう。勿論、結婚生活には多くの犠牲や不便な面も伴います。しかし、子孫を残すということ、また、良きパートナーを得てそのパートナーを幸せにするということは、人間として果たさなければならない最小限の責任だという認識があれば、どんな困難な状況にも立ち向かっていけるはずです。また、犠牲の中にあってこそ、人間としての成長を遂げることができるのではないでしょうか。
日本の少子化問題はいよいよ深刻さを増しています。様々な対策が講じられていますが、最も必要なのは、若者の心の変革です。是非、一人でも多くの若者に、次のキリストの言葉を知っていただきたいと思います。
「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20章35節)