レッツ・ロール
2012.2.16最上のわざ
2012.2.161910年に、旧ユーゴスラビア(現マケドニア)のスコピエで、一人の女の子が誕生しました。名前は、アグネス・ゴンジャ・ボヤージュと言います。1928年、アイルランドのロレット修道会に入ったアグネスさんですが、その1年後に志願してインドに渡り、20年間、カルカッタのセントメリー高等学校の教師、校長を務めます。1948年に、イエス・キリストのある言葉に捕えられて、人生がガラッと変わります。
「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイの福音書25章40節)。
アグネスさんはこの聖句に動かされて、一人でカルカッタの貧民街でダリート(カスト制度の最下位の人々)に対する福祉活動を開始し、「死を待つ人の家」、「孤児の家」などの施設をインド各地に展開していきました。ヒンズー教徒からの激しい迫害もありましたが、徐々にその働きが世界中の人々に注目されるようになり、ついに1979年に、アグネス・ゴンジャ・ボヤージュさんは、ノーベル平和賞を受賞したのです。勿論、その時、彼女の本名を知る人はほとんどいませんでした。「マザー・テレサ」と呼ばれるようになっていたからですが、どんなに脚光を浴びても、マザー・テレサは決して思い高ぶることはありませんでした。いつも口にしていた言葉は、「私はただ、神の御手の中にある鉛筆です」というものです。
鉛筆には、二つの主な用途があると言えます。文書を書くことと、絵を描くことです。人は自分の手で鉛筆を握って、様々なストーリーを書きます。また、鉛筆を用いて、素晴らしい絵を描く人もいるでしょう。そのようにして、今まで、数多くの名作が生まれています。しかし、マザー・テレサは、自分の手に鉛筆を握って名作を残そうとは考えませんでした。自分自身が神の御手の中の鉛筆だというのです。つまり、自分の一生を神にささげて、神の御手の中で握られれば、神が驚くべき名作(ストーリー)を生み出してくださる、という信仰があったのです。その信仰は、使徒パウロの次の言葉とも一致しています。
「ですから、だれでも自分自身を聖めて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです」(テモテへの第2の手紙2章21節)。
マザー・テレサは、自分が神の御手によって動かされている器であるという認識をもって、とてつもなく大きな働きに挑戦しました。その人生はまさに、神の手による名作であったと言えましょう。
私たちはマザー・テレサほどの働きはできないかも知れませんが、「私は、神の御手の中にある鉛筆だ」という信仰を持つなら、きっと神のみわざが現れることでしょう。
一緒に祈りませんか。
「神様、どうぞ、あなたの鉛筆として、私を御手の中で握り締めてください。私の人生を通して、あなたの栄光を現すストーリーを書いてください。」