5人の殉教者が生み出した奇跡
2018.3.14ある女性の夢
2018.11.62020年の東京オリンピックが近付くに連れて、人々の外国語の習得に対する関心が高まってきているようです。確かに、外国から大勢の人々が日本にやって来るので、彼らをもてなすためには、英語をはじめ、諸外国の言葉に精通している人間の養成が急務だと言えます。
私も42年前に、何としてでも日本語をマスターしなければならないと燃えていました。それは、一人でも多くの日本人に福音を宣べ伝える使命感を持っていたからです。私はつくづく思いますが、外国語の習得には、二つのことが必要です。一つは、明確な目的を持つことです。なぜ、外国語をマスターするのか、はっきりとした理由がなければ、長続きしません。
もう一つ大事なことは、外国語を話さなければならない状況に自らを置くことです。外国に行くか、外国人との定期的な交流を求めて、自分にプレッシャーをかけることをしなければ、言葉は上達しません。後もう一つ、大切なことをあえて挙げるなら、間違いを気にせずに、堂々と喋ってみることです。
ある外国人が夜、東京にある自分のアパートの部屋でくつろいでいると、外から誰かのうるさい話声が聞こえて来ました。余りにもうるさいので、窓を開けて、注意しようとしましたが、咄嗟に口から出た言葉は、「うるさい!」ではなく、「嬉しい!」という言葉でした。「嬉しい!」でも、それなりの効果があったかも知れませんが、外国語に挑戦する者は、誰であっても、恥ずかしい思いをしたり、笑われたり、誤解されたりしながら、必死に頑張っています。また、周囲の人間から「子供扱いをされている」と感じながら、落ち込まないように戦うこともあります。
こうして、外国人とのコミュニケーションのことで私たちが苦労するようになったのは、実は、人間の罪の結果です。人類は元々、一つの言語を話していましたが、人類が「バベルの塔事件」を起こして神に逆らおうとしたために、主が全地の言葉を混乱させて、お互いに意思の疎通を図ることができないようにされたのです。
旧約聖書のモーセも、言葉でのコミュニケーションの難しさを理由に、神の召命を断ろうとしました。
「モーセは主に申し上げた。『ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。』主は彼に仰せられた。『だれが人に口をつけたのか。だれが口をきけなくし、耳を聞こえなくし、あるいは目を開いたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、主ではないか。さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう』」(出エジプト4章10-12節)。
モーセは神のみことばに励まされて、イスラエルの民を救うためにエジプトに出かけて行きました。そして、見事に召命を果たしたのです。
私たちも、明白な目標を持ち、神が共にいてくださり、助けてくださることを信じるなら、きっと外国語の上達を見るでしょう。また、外国人との交流によって、心も豊かになるはずです。
1 Comment
ウッド先生が,聞いただけでは日本人の話している日本語と変わらないほどの習熟度に達していることが,日本人伝道のためという大きなビジョンのためであったことは,日本人にとっては大きな幸いです。またエホバの証人への対処などのためにリハビリセンターを立ち上げて下さったこともウッド先生でなければ出来なかったことかもしれません。(わたしが寄付できたのはわずかでしたが。。。)
今,香港におりますが,今年の6月から主任牧師が交代しました。今の牧師は,ペナン出身のマレーシア華僑で国費留学で日本留学し,民間企業での勤務で香港転勤になり,香港の地で献身して牧師になるべく香港で神学校に通い,去年神学論文を書き上げて最優秀論文賞を得て卒業された方です。日本語能力はすばらしいですけれども,ネイティブの日本人とは違う発想ができること,英語の著作・論文などを広範に読破していること,またご自身が三人の子供をマルチリンガルに育てていることなどなど,私自身の信仰の成長にもたいへんモーティヴェイションを下さっています。年はわたしより一回り下ですが,この牧師の連続説教の六年計画の構想を先日教えてもらい,改めてビジョンの明快さに驚きました。
ウッド先生のビジョンの明確さも感銘を受けました。そして教会で説教し牧会するだけの存在以上の活躍をなさっていることに,主の励ましと守りがこれからもありますように祈ります。