SNSの落とし穴
2017.12.4英会話ブーム到来か
2018.7.4 南米のエクアドルに、アウカ族が住んでいます。アウカというのは「野蛮」という意味ですが、そう呼ばれていたのには、それなりの深い訳がありました。アウカ族の村同士で絶えず、殺し合いが行なわれていたのです。アウカ族における殺人率は60%でした。つまり、10人の内の6人が殺されていた訳です。この憎しみと怒りと殺意に満ちた世界が余りにも恐ろしくて、長い間、誰も近付こうとはしませんでしたが、1952年のこと、ジム・エリオットというアメリカ人宣教師がアウカ族に福音を届けようと立ち上がりました。命の危険を承知の上で、少しずつ、アウカ族へのアプローチを試しました。最初は小型飛行機を使って、食べ物や衣類など、彼らがプレゼントとして受け取ってくれそうな物資を、彼らの村の近くに落としました。しばらくそのことを続けた後で、他の宣教師と共に、自分の足で村のそばまで歩いて、会話を試みました。何とか、簡単な挨拶を交わし、少し意思の疎通を図ることができるようになりましたが、1956年一月に、恐れられていた悲劇が起きました。ジム・エリオット氏を含む五人の宣教師が、アウカ族の手によって殺されてしまったのです。
世界中の人々を震撼させたニュースでした。しかし、その後、世界の人々をもっと驚かせる話が報道されました。ジム・エリオット氏の奥さんのエリザベスさん、及び、エリオット氏と共に殉教したネート・セイント氏の奥さんのマージュさんが小さい子どもを連れて、再び、アウカ族とコンタクトを取り、一緒に住むようになったのです。そして、少しずつ、彼らの言語を学びながら、福音を伝えて行きました。すると、驚くことに、イエス様を信じる人々が続出し、恐ろしい殺人者から愛に満ち溢れた人間たちに生まれ変わり、殺人が行なわれなくなったのです。福音の力を鮮明に証しする話ですが、アウカ族が女性たちを受け入れた、最も大きなきっかけとなったのは、五人の宣教師を襲撃した時に、誰も抵抗しなかったことです。宣教師たちは、ジャングルに潜む野獣から身を守るためにライフル銃を持っていましたが、アウカ族が槍をもって襲って来た時に、誰も撃とうとはしなかったのです。エリザベスさんはその著書、『ジャングルの殉教者』の中で、次のように述べています。
「ジムを殺した人々に対し、憎しみはありませんでした。彼は生前、アウカ族の救いのために死ぬ備えができていると言っていました。残された家族も、自分たちの敵を祝福してくださいと、神様に祈り続けたのです。」
しかし、この話にはまだ続きがあります。アメリカのある大手製油会社が、アウカ族がおとなしくなったという情報を聞き付けて、石油の調査チームを派遣し、油脈を掘り当てました。そこで、どのようにアウカ族を追い払い、油田を開発できるかという話になってしまったのですが、危機感を覚えたアウカ族は、殉教者の一人だったネート・セイント氏の息子さんに連絡を取りました。息子さんのスティーブさんはアウカ族と共に幼少時代を過ごしましたが、成人した後アメリカに帰り、結婚し、成功したビジネスマンとして幸せな生活を送っていました。奥さんも子どもたちも、アウカ族の人間に会ったことがありません。そのようなスティーブさんとその家族に対して、アウカ族は、「私たちのところに来て、一緒に住んでください。私たちを追い払おうとする人間から守ってください。そして、自立できるように、色々な技術を学ぶための場を提供してください」という難しい要求をして来たのです。最初は、とても無理な話だと思っていましたが、祈っているうちに神の導きを感じ、スティーブさんたちは1995年にエクアドルに引っ越すことにしました。そして、アウカ族と一緒に住み、彼らに現代社会に適応するための知恵を教えながら、様々な法的手続きを取って、彼らが土地を失うことのないようにしたのです。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネの福音書12章24節)。
私たちは、殉教の死を遂げることはないかも知れませんが、自我に死んで、人のために犠牲を払う時に、素晴らしいことが起こるはずです。