皇太子の家庭教師
2017.9.55人の殉教者が生み出した奇跡
2018.3.14 最近、SNSという言葉を耳にしたことのある方が多いかと思いますが、インターネットのネットワークを通じて、コミュニケーションが図れるように設計された会員制サービスです。その中で、特に利用者が急増しているのは、フェースブック、ツィッター、ライン、インストグラムなどです。SNSでは、ユーザーがプロフィルや写真を公開することが多く、そのため実名でのやり取りが一般的になっています。投稿記事は、友達や家族に限定したり、グループ内のみでの通信することができます。投稿さて共有される内容は、日記などの日常の記録から、社会事象などに対する自分の意見、気になったウエブサイトへのリンクなど、様々です。また、写真や動画を合わせて投稿することもできます。他人の投稿に対してコメントしたり、自分の投稿に対する反応を知ったりするのがSNSの楽しみです。ところが、最近、こんなふうにつぶやく人も増えて来ました。
「SNSって便利だけど、疲れるなー。」
「劣等感を感じて何もやる気がなくなる。」
「SNS鬱」という言葉ができるほど、鬱病を発症する人も多くなっています。その一つの大きな理由は、自分を人と比較するからです。結局、フェースブックなどに投稿される記事というのは、ほとんど、自慢話です。「また、海外旅行をしてきました」とか、「どこそこの高級レストランでまた、食事をしちゃいました」とか、「また、ブランドのバッグを買っちゃいました」とか、「こんな作品が出来ました」とかいうような話ばかりです。劣等感を感じやすい人は、そのブログを見て、否定的な思考パターンに陥ってしまいます。
「こんな才能があって、経済的にも恵まれた人たちがいるんだ。しかも、僕より年下じゃない?自分なんかじゃ全然、歯が立たない。ダメだ。諦めよう。」
フェースブックで鬱になりやすくなるという研究結果がアメリカの大学の論文で発表されています。自分を人と比較して、落ち込んでしまう。あるいは、人の成功を妬ましく思い、人を恨んだり、人に危害を加えたりする。これは何も、ハイテックの時代になってからの問題ではなく、何千年も前からある問題ですが、その根本的な原因は、人間としての自尊心の欠落にあります。「私の存在には意義がある」という実感がないのです。このように悩む人には、その悪いセルフ・イメージを変えてしまうほどの力強いメッセージが必要です。「あなたにも素晴らしい才能があるよ」というような、周りの人間からの励ましも役に立ちますが、最も効果的なのは、聖書のみことばです。
「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています」(詩篇139:13-14)。
ここでダビデ王は、自分が神のご計画どおり、ユニークな存在として神に創造された作品であることを賛美しています。私たちも同じような認識を持つと、自分を人と比較することには何の意味もないことが分かって来ます。「犬と猫と、どっちが可愛いか」、「薔薇とユリと、どっちが綺麗か」ということを議論する人はいません。それぞれ、違った可愛さ、あるいは美しさがあるからです。犬は犬で良いのです。猫は猫で良いのです。犬は猫になろうとする必要はありません。犬でいることに意味があるのです。
同じように、私たち人間も、お互いに違う所が色々あります。そのように、ユニークな形で神の栄光を現すために造られているからです。自信をもって、堂々と生きて行きましょう。