最近、東京都内のあるホテルで、キリスト教の結婚式の司式を頼まれることが多くなりましたが、キリスト教の結婚式には幾つかの独特の儀式があります。結婚の誓約、指輪の交換、ウェディング・ファースト・キスなどですが、他の国、または文化では、少し違った風習があるようです。
例えば、インドのブラーマン族の間では、弟が兄より先に結婚してはならないというルールがあるのですが、兄にふさわしいお嫁さんが見つからない場合、家族が彼を一本の木と結婚させることができるそうです。勿論、表向きの儀式に過ぎませんが、兄が木と結ばれた後に、弟が好きな女性と一緒になることができる訳です。兄の木との結婚式と、弟の結婚式を同時に行うこともあるそうですが、弟夫婦に降り懸かるかも知れない不運がすべて、木の上に降り懸かるように、祈りが捧げられる、ということです。
イギリスの結婚式では、昔、指輪の交換がなく、新婦が自分の靴を脱いで新郎に手渡したそうです。そこで、新郎がその靴の片方を持って、新婦の頭を軽く叩いたというのです。その儀式に何の意味があったのかは、分かりません。
また、アメリカン・インディアンのチェロキー族に、こんな風習があります。結婚するカップルは、水が流れている所で、手をつなぎます。それは、二人の人生がこれから合流して、一つの川となり流れて行くのだ、ということを表しているそうです。
聖書の創世記に、アダムとエバという、人類最初のカップルの結婚式のことが書かれていますが、主なる神がアダムのあばら骨の一つを取り、それで、アダムのふさわしい助け手としてエバを造ったと記されています。とても興味深い話です。しかし、どうして肋骨だったのでしょうか。もし、エバがアダムの頭の骨から造られたのであれば、女性は男性より上位の者、男性を支配する者である、と言えるかも知れません。あるいは、アダムの足の骨で創造されたのなら、アダムに踏みにじられるべき存在、アダムの奴隷として存在する者だ、ということになるでしょうが、「主は人から取ったあばら骨を、一人の女に造りあげた」と聖書は言っています。つまり、女性は男性と平等である。男性のそばに立つ良きパートナーとして造られた、ということです。エバを見た時、アダムは次のようなラブソングを作りました。
「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから」(創世記2章23節)。
アダムはこうして、エバを神からの素晴らしいプレゼントとして迎え入れた訳です。
ここに、幸せな結婚生活の秘訣があります。幸せなカップルは、神の不思議な導きの中で出会って結ばれたことを認識しつつ、お互いの存在を、神からのプレゼントとして受け入れています。夫婦というのは、お互いに「ふさわしい助け手」なのです。お互いに支え合い、弱さを補い合い、刺激し合う存在です。相手の長所も短所も、才能も欠点も、力も弱さも、ちょうどお互いに、必要なものなのです。神からの賜物です。そうです。相手の弱さによって、私たちは鍛えられて、成長させられます。愛を学ぶのです。あなたも、神から与えられた伴侶と力を合わせて、共に幸せな人生を歩んでください。