データ・オーバーロードで苦しむ人々
2012.2.16小さな親切
2012.2.16一昔前のことですが、仙台駅の近くに、『死なない薬』という看板を出している薬局がありました。この珍しい看板に引かれて、人が店内に入って行くのですが、最初に目にするのは、『腹の減らない薬』という張り紙でした。その下に置かれているものは、何と、一束の稲でした。少し進むと、今度は、二番目の張り紙です。『賢くなる薬』。その下には分厚い数冊の書物が置かれてあります。いよいよ店の奥までやって来ると、問題の『死なない薬』の張り紙が目にとまります。その下に置いてあったものは、開かれた一冊の大きな聖書だったのです。
言うまでもなく、この薬局の経営者は、敬虔なクリスチャンで、ただ客を呼ぶために、『死なない薬』という看板を出していた訳ではありません。この看板は、彼の信仰の証しだったのです。 「わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする」(箴言4章20-22節)。
聖書は確かに、私たちを健やかにする薬であり、私たちに命を与えてくれる書物です。では、この薬は、どんな症状に効くのでしょうか。孤独、虚無感、良心の呵責、精神的な傷、将来への不安、死に対する恐怖などです。聖書は、これらの問題解決の素晴らしい処方箋となります。
勿論、正しい用法も大事です。まず、自分のために書かれた書物だと信じて読むこと。造り主なる神からのラブレターだと考えても良いでしょう。次に、真理を求める気持ちで読むこと。先入観や偏見を捨てて、子供のような素直な心を持つことが大切です。三番目に、毎日、必ず読むこと。食前でも、食後でも、構いません。四番目に、教えられたことを、日常生活の中で実行してみること。この用法に従って、聖書を服用する者は、間違いなく、症状の改善が見られます。
日本人ほど、薬好きな民族はないと言われます。論より証拠、日本中どこに行っても、薬屋さんは大はやりです。こうして、薬の世話になることが多い日本人は、『聖書』という薬を一度、試してみるべきだと言えましょう。しかし、『死なない薬』として、聖書を宣伝するのは、やり過ぎでしょうか。いいえ、そうではありません。イエス・キリストがこう言われるからです。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです」(ヨハネ5章24節)。
イエス・キリストのみことばは、私たちに永遠の命を約束しています。キリストを信じる者は、たとえ、肉体が死んでも、霊が天国に行きます。また、やがてキリストの再臨の時に、体が復活してくるのです。
「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです』」(ヨハネ11章25節)。 『死なない薬』の服用を、心からお勧めします。