過去に、少なくとも2回、日本でエホバの証人からの集団離脱が起きています。1985年に、北海道にある会衆の長老が組織の教理に疑問を持ち始め、そのことに関する質問状を支部に送ったために排斥になり、彼に同情した60人ほどの信者が脱会しています。また、一九八八年に神戸市にある会衆においても、40人以上の離脱者が出ました。そして今現在、埼玉県のある会衆が組織の方針に不満を抱き、揺れ動いています。
問題の発端は、三年前に逆上ります。一人の研究生(夫は伝道者)が妊娠し、胎児に異常があることが分かりました。治療法として速やかな輸血が勧められましたが、「進歩的な研究生」であった女性は、「輸血を拒否すべし」というものみの塔の教えを守りたいと思い、長老に相談して医療連絡委員会(無輸血治療・手術の誓約など、法的面から信者を補完する組織)の助けを求めました。ところが、「研究生だから」という理由で断られた、というのです。伝道者の夫の子供でもある、と訴えると、一度は「協力する」と言ってもらったのに、後で「やはり協力できない」と突き放されてしまいました。最終的に、無輸血手術対応の病院を探している間に時間が経ち、胎児は亡くなってしまったのです。
子供を亡くされた夫妻は、命にかかわる問題であるのに、誠実に対応してくれず、ころころ方針を変える組織に対して、大きな疑問を感じ始めました。そこで、日本支部に説明を求めると、長老からは「僭越な行為だ。あなたがたはサタン的な分裂精神の背教者だ」と烙印を押されてしまった、というのです。今現在、二人は伝道活動、及び、集会への参加を止めていますが、まだ、正式に断絶の手続きをしていません。いわゆる、「不活発なエホバの証人」となっていますが、会衆の中から、二人の訴えに同情する信者が二〇人あまり、現れています。その中に、「奉仕の僕」をしていた男性とその奥さんがいます。二人は、インターネット等を通して、組織の矛盾や欺瞞をはっきりと理解できるようになりました。特に奥さんは、エルサレムが陥落したと組織が主張する紀元前607年について徹底的に調べて、聖書の観点からも、世界史の観点からも完全に論破し、そのことを証明する立派な資料(年代表)を作っています。
夫妻は、一人でも多くのエホバの証人が間違いに気付いて救われるように、今後も、自分達の体験を語っていきたいと、大きなビジョンを掲げています。