吉沢さん家族の体験1
2012.2.16私は、エホバの証人問題で困っておられる家族の相談を受けるようになって、15年以上たちます。それぞれのケースには異なる面 もありますが、どのケースにも共通しているものは、家族の苦しみです。言葉では言い表せない苦しみです。このホーム・ページをご覧になっているあなたも、きっと苦しい思いをしてこられたはずです。しかし、どうぞ、希望を持ってください。既に、多くの方々が救出されているように、あなたの愛する奥さん、あるいはご主人、あるいはお子さんも、救出されることができます。
1.信教の自由とカルト問題
カルト問題に直面しているご家族は、まず第一に、救出と信教の自由の問題について、深く考える必要があります。ご存じのように、信教の自由は、日本の憲法によって保証されています。つまり、誰がどんな宗教を信じようと、それはその人の自由です。また、人は何かの宗教的行事に参加しても、参加しなくても、そのことで村八分にされたり、差別 の対象になったり、迫害を受けたりするようなことがあってはなりません。更に、強制の伴う布教活動を行ったり、無理やりに信仰を捨てさせたりすることもいけません。信教の自由があるからです。
しかし、6年前のオウムの地下鉄サリン事件でも問題になったように、信教の自由を盾に、反社会的なことをやっても良いという訳ではありません。信教の自由は、あくまでも尊重されるべき、貴重な権利です。しかし、人間社会に害を及ぼすような宗教団体の存在に対して、黙っているべきではないのです。数年前から、フランス国民議会もこの問題に取り組んでおり、同じ結論に達しています。
では、一つの宗教団体が危険なカルト集団であるかどうかを判断するために、どのような基準を用いれば良いのでしょうか。まず、最初に、実際の被害が出ているかどうかということが、一番大きな判断材料になります。オウムのようなグループの場合、日本の社会に被害を及ぼしていることは、誰の目にも明らかです。既に、多数の人間の命を奪っているからです。しかし、被害状況がなかなか分かりにくい宗教団体もあります。例えば、ものみの塔聖書冊子協会です。ものみの塔協会に属するエホバの証人は真面 目であり、正直であり、穏やかな性格を持っており、兵役を拒否します。一般 の人の目には、とても危険なグループのようには見えません。しかし、実際に、ものみの塔の教理によって、何千、何万人もの尊い命が失われています。
1996年の7月8日に、鹿児島県に住む妊娠五ケ月のエホバの証人が、ボート事故に遭い病院に運ばれましたが、輸血を拒否したために、胎児と共に死亡してしまいました。ちょうど次の日に、埼玉 県の病院のお医者さんから、私のところに電話がかかって来ました。その病院には十三歳の女の子が重病で、入院していましたが、手術に必要な輸血を拒否しているとのことでした。その子は両親をなくした孤児で、親戚 もいない子だったので、本人の承諾を得ない限り、何もできない状況でした。輸血をして、手術を行えば必ず直る病気でしたが、どこかで知り合ったエホバの証人が毎日のように病院に押しかけて、輸血をしないように、説得したそうです。お医者さんの説明を聞くと心が揺れ動きましたが、次の日にエホバの証人に会うと、「輸血を拒否します」と、元に戻ってしまうということです。手術をしなければ、命は一週間ももたないから、何とか説得してみてくれないか、と頼まれました。そこで早速、その週の金曜日に病院に行く約束をしたのですが、同じ日の夜に再び電話がかかってきました。「子供は先程、死にました」という知らせでした。病院の先生は激怒しながら、こう言われました。
「彼らには、生きる資格がない。十三歳の孤児に、『死ね。死ね』と言っていたからだ。彼らのしたことは絶対にゆるせない。」
ものみの塔聖書冊子協会発行の『目ざめよ!』誌1994年5月22日号の表紙に、多数の若者の顔写 真が載っています。そして、その下に、『神を第一にした若者たち』と書いてあります。彼らはどのような功績を作り、英雄扱いを受けるようになったのでしょうか。輸血を拒否して、死亡しているのです。この雑誌の中で紹介されているカナダのエイドリアン・イェイツ(十五歳)という青年は、輸血を拒否する理由を聞かれて、次のように説明しています。
「・・・・・・これは良い取り引きではありません。神に逆らって、いま数年長く生きられたとしても、神に逆らったために復活できない、地上の楽園で永久に生きることもできないというのは、利口なやり方ではないでしょう。」
このように、ニュースで取り上げられなくても、毎年、数多くのエホバの証人が輸血を拒否して、死んでいます。
また、ものみの塔は、1879年にアメリカのペンシルバニア州で創立されて以来、何度も世の終わりを予言しなおしては、信者の数を増やしてきた団体です。1914年にも、1918年にも、1925年にも、1941年にも、1975年にも、ハルマゲドンが到来すると明言しています。そして、その都度、エホバの証人の若者に向かって、結婚、家庭、教育、就職は第一に求めるべきではないと教育し、伝道者になることが最善の生き方だと強調してきたのです。
「若い人々はまた、現在のこの事物の体制の下で年配に達することは決してないという事実を直視しなければなりません。どうしてそう言えますか。なぜなら聖書予言の成就という証拠はすべて、この腐敗した体制があと数年のうちに終わることを示しているからです。・・・・・・ゆえに、若い人々はこの体制の差し伸べるいかなる立身出世の道をも決して全うすることができません。もしあなたがいま高校生で、大学教育をこころざしているとすれば、大学を卒業して、専門的な職業に携わるには少なくとも4年、場合によっては6年もしくは8年もかかるでしょう。しかしこの事物の体制はその時までにどうなっているでしょうか。もし実際に過ぎ去っていないとすれば、ほとんどその終わりに達していることでしょう!」(『目ざめよ!』誌、1969年8月8日号、15頁)。
この記事が書かれた当時、ものみの塔は、1975年の秋にハルマゲドンが来るという預言を掲げて、伝道活動の緊急性を訴えていました。そこで、「この体制の差し伸べるいかなる立身出世の道をも決して全うすることができない」と信じて、多くの若者は婚約を破棄したり、大学に行く夢を捨てたり、就職を蹴ったりしました。予言が不発に終わって、既に30年になろうとしている今、彼らはどんな思いで人生を歩んでいるのでしょうか。彼らに対して、ものみの塔協会は一切、謝罪も代償もしていません。むしろ、組織のために人生を棒に振った若者が、「得をし、益を得た」と、鉄面 皮で主張しているのです(『ものみの塔』誌、1976年10月15日号、633頁)。
更に、想像を絶する深刻な家庭破壊が、エホバの証人に関わる家庭に激増しています。エホバの証人は、ものみの塔の教えに賛同しない家族を、「信仰の敵」と見なすように指導されています。宗教問題に関する家族の話し合いを拒絶し、均衡の取れた考え方を持つようにという家族の説得を「迫害」としか受け取りません。あげくの果 てに、家族のことを「悪魔」と呼ぶようになり、ものみの塔の「兄弟姉妹」こそ本当の家族だと考え始めるのです。「エホバの証人になれば、あなたの家庭も幸せになります!」という、ものみの塔の宣伝とは裏腹に、エホバの証人のことで日本全国の数万軒の家庭において、トラブルが起きていると推定されています。
ある宗教団体の危険度を測るための、もう一つの基準は、マインド・コントロールを用いるかどうかということです。マインド・コントロールは、カルトという言葉と同様に、しっかり日本語になってしまっていますが、正しい意味で理解されていない場合が多いようです。カルト研究の先駆者であるスティーブン・ハッサン氏は、その著書『マインド・コントロールの恐怖』の中で、マインド・コントロールを次のように定義づけています。
「それは、個人の人格(信念、行動、思考、感情)を破壊して、それを新しい人格と置き換えてしまうような影響力の体系のことである。多くの場合、その新しい人格とは、もしどんなものか事前にわかっていたら、本人自身が強く反発したであろうと思われるような人格である。」
家庭や学校や会社で行われる教育、あるいは訓練の目的は通常、人が本来持っているものを引き出すことにあります。しかし、カルトは違います。その教育・訓練の究極的なゴールは、人の本来の人格を破壊し、組織の意図に沿った新しい人格を植え付けることです。言い換えるなら、組織のコントロール下に置くことです。 結局、カルトの指導者は、自分の王国を築こうとしている人です。したがって、その人の第一の関心は、自分の支配権が及ぶ領土を広げることです。自分に仕えるロボットを増やすことです。
ものみの塔聖書冊子協会は、自らを「神の代弁者」と称し、信者に対する絶対的服従を要求します。組織を批判する文書や、他の宗教の出版物を読むことを禁じます。組織に対して疑問を抱くこと、あるいは組織の指導がなくても生きていけると考えることは、「神のご意志に反している」とするのです。
こうして、多くの事実が示しているように、ものみの塔は危険なカルト教団です。だからこそ、多くの家族が信仰の自由を認めつつ、何とか愛する者を救い出したいと考えます。問題は、どのようにマインド・コントロールを解くかということです。
2.どんな救出方法があるのか
危険なカルトから人を救出するためには、幾つかの方法があります。まず、家族が独自で説得することです。様々な情報を集めて、本人に与え、考えさせるのです。最も自然な救出方法ですが、かなり勉強する必要があります。また、自由に組織の集会に出入りしたり、先輩の信者に相談したりできる状況だと、本人が自分で真剣に考えないで、ただ組織から聞いたことをおうむ返しに言うだけで終わってしまう可能性が大いにあります。勿論、この方法で目覚める人もいますが、長期戦を覚悟した方が良いでしょう。
次の救出方法は、キリスト教の牧師を交えての話し合いの場を設けることです。月に何度か、話し合いを持ち、牧師に聖書の話や、ものみの塔の危険性・欺瞞性について話してもらう訳ですが、ここでまた、問題になるのは、本人がすぐに、長老に相談することです。更に、話し合いが数回、持てたとしても、恐らく長老がそれにストップをかけるでしょう。「危険です。やめておきましょう」と、「指示」を出すのです。
三つ目の救出方法は、本人と共に普通の日常生活から退き、またカルト教団との連絡を絶って、家族だけで専門家の集中講座を受けることです。家族や救出カウンセラーの都合がありますが、一週間から一カ月間、カウンセラーを交えての家族の学びや話し合いの時が持たれます。
3.救出の動機は何か
救出が成功するかどうかの大きなかぎは、家族がどのような動機で臨むかということです。ある家族は、自分たちの言うことを聞かなくなったから救い出したいとか、自分たちが迷惑しているから何とかしなければならないとか、宗教行事に参加してくれなくなったから組織から離れさせたいとか、世間体が悪いから救出しなければならないと思った、とかいううようなことを言われます。
しかし、救出の動機がそのような自分中心的なものであったなら、救出は成功しません。あくまでも、本人のことを第一に考えなければなりません。つまり、このままでは、本人が不幸になるから、本人のために何とかしなければならないということです。家族の救出の動機は、あくまでも、ご本人に対する愛に基づいていなければならないのです。
4.家族の反省・成長
家庭のトラブルの原因が、100パーセント、カルト信者にある、ということはあり得ません。必ず、家族の他のメンバーにも、反省すべきところがあるはずです。私は今まで、沢山の被害者家族の相談を受けてきました。皆さんは、エホバの証人等の問題で、本当に困っておられます。苦しんでおられます。しかし、話をよく聞いてみると、家族、特に、ご主人にも問題があるということが分かるのです。
多くの場合、若い主婦たちがものみの塔に走ってしまうのは、そこに自分が必要としているものがあるからです。つまり、ご主人から得られていないものを、組織に求めるのです。例えば、愛です。人間は誰でも、愛されたい、あるいは認められたいという強い願望を持っています。これは、人間が幸せになるために、どうしても満たされなければならない、根本的な必要ですが、多くの女性は、結婚していても、愛されているという実感がないのです。ご主人から、「愛しているよ」とか、「好きだよ」とか、「おまえのことを大切に思っているよ」という言葉をかけてもらっていません。ほめられることも、めったにありません。だからこそ、ものみの塔、あるいはエホバの証人に愛を求めるのです。
エホバの証人は、新しくグループに加わった人を、とても大事にします。愛情を注ぎます。いわゆる「ラブ・シャワー」です。何時間でも費やして、人の話や悩み事を聞いてあげるようにします。仕事で忙しいために、ご主人とゆっくり話ができない主婦にとっては、まさに一つの救いです。ですから、奥さんの救出のために、何としてでも、仕事を調整して、家族で話し合いをするための時間を作らなければなりません。
多くの主婦がものみの塔から求めている、もう一つのものは、心の支えになるような、人生の指針になるような知識や知恵です。人生とは何か、真理とは何か、宗教はどうあるべきか、世界はこれからどうなっていくのだろうか、などの疑問に対する答えを、多くの現代人は探しています。子育てについて自信がなく、悩んでいる女性も大勢います。言うまでもなく、このような疑問を抱くようになれば、普通 の女性はまず、自分の夫に相談します。しかし、夫が面倒臭さそうにしたり、「そんな難しいこと、分からん」と突っぱねたりすると、どうなるのでしょうか。奥さんは、真面 目な気持ちで相談に乗ってくれる人を探すのです。エホバの証人は喜んで、その役割を引き受けます。そして、多くの間違った情報、有害な情報を吹き込むのです。
私のところに相談に来られる方々に、私がまずお勧めするのは、勉強することです。家庭生活について、宗教について、そして聖書についてです。奥さんにただ信仰をやめさせれば良い、ということはありません。ものみの塔の教えは、間違ったものであるにせよ、奥さんの心の支えであり、生き甲斐であり、希望のすべてです。ただそれを取り上げて、代わりになるものを何も与えてあげないというのは、ひどすぎます。ですから、奥さんの救出を希望している方々に、是非、お願いしたいと思います。よく勉強してください。よく考えてください。「人間はどう生きるべきだろうか。」「正しい宗教とは何だろうか。」「聖書のメッセージとは何だろうか。」
ほとんどの場合、相談に見える家族の本音は、本人が聖書を捨てて、家の宗教に戻ることです。勿論、本人がよく考えて、それが正しい宗教だと納得すれば、それで問題ないかも知れませんが、結局、その家の宗教に満足できないから、そこに本当の解決や救いがないと思ったから、ものみの塔の勉強を始めたのです。ですから、「家族のみんなと同じ宗教を守ってほしい」という、感情論は通 用しないのです。本人の疑問に答え、本人の必要を満たす宗教でなければならないのです。これは、とても重要な点です。
多くの日本人は、宗教と正面から向き合うことをしません。世の中のしきたりや家の宗教を守りますが、なぜそうするのかを考えません。お正月には神道の信者であるかのように、神社に参拝に行くし、クリスマスの時期になると、あたかもクリスチャンであるかのように祝いをするし、教会で結婚式を挙げる人もいるし、死ねば仏教徒として葬られます。しかも、何の矛盾も感じないのです。言うまでもなく、人生の問題を真剣に考える人なら、日本の宗教の在り方に疑問を持ち、必ず、どこかに答えを求めるようになるものです。ですから、現在の日本におけるカルト問題は、日本人が宗教のことを真剣に考えてこなかったことへの代価なのです。 結局のところ、エホバの証人等の問題で、多くの家庭が不幸になっているのは、ご主人になるべき人が、ご主人になっていないからです。つまり、奥さんが自分の主人として、ものみの塔という組織に従っているということです。ここから、すべての問題が発している、と言っても過言ではありません。エホバの証人は、ものみの塔を神の代弁者として慕い求めています。信じています。ですから、ものみの塔の独特の教理を鵜呑みにするのですが、そこで、価値観も、思考パターンも、生活様式もすべて、ものみの塔一色になります。もはや、結婚した当初の女性でなくなっているので、ご主人との関係において、意見の食い違いが生じるし、話が合わなくなります。また、一般 の人が分からない、大切な真理を学んでいるし、神と人のための奉仕の人生を歩み始めたと確信しているエホバの証人は、どうしても、外部の人に対しても、ご主人に対しても、優越感を持つようになります。「あなたは何も分からない。自分勝手な生活をしている」と、ご主人を見下すことも始まるのです。さらに、ものみの塔に深入りすると、現実離れした言動が目立つようになります。「ハルマゲドンが近い」と言って、集会や伝道を最優先し始めます。家庭がおろそかになります。やるべきこと、あるいはやりたいことがあっても、「地上が楽園になってからやれば良い」と考えたり、言ったりするようになります。こうなってくると、ご主人が黙っているはずもありません。言い争いの絶えない日々が続きます。ご主人が忍耐強く、話し合いの場を持とうとしても、なかなか、素直に話を聞いてもらえません。それは、奥さんが自分のご主人として、従うべき権威として認めているのは、ものみの塔だけだからです。また更に、「立派なエホバの証人にならなければならない」というプレッシャーの中で、家族を思いやることができなくなるケースもよくあります。これも、家庭内の摩擦に拍車をかけるのです。
5.フォロー・アップの必要性
多くの家族は、本人が「カルトをやめます」と言えば、それで万歳だと思っています。しかし、そうではありません。様々な形でのアフターケアが必要です。手術を受けた人間が、次の日から歩き出したり、仕事に出掛けたりせず、傷が完全に癒えるまで、休養することが不可欠であるように、カルトの間違いに気付かれた方も、立ち直るのに十分に休んだり、心の整理をしたりする時間が必要です。自分はこれから何を信じたら良いか、どんな生き方をすべきかなど、重要な事柄を決定しなければなりません。また、からっぽになった心を、どのように埋めていくかを考えなければならないのです。悪いものを追い出した後、心をからっぽのままの状態にしておくことは、非常に危険なことであると、聖書は警告しています(マタイ12・43-45)。
ですから、本人がカルトを止めさえしてくれれば、それで良い、というふうに考えないでください。フォローアップのことは、説得と同じくらい重要な意味を持っているのです。ですから、お勧めしたいのは、家族全員で、牧師から正しいキリスト教を教わることです。自分の生き甲斐や心の支えがなくなったということで、自殺をする元証人がいると聞きます。また、精神的に落ち込んだり、乱れた生活に走ったりする方もいます。安全なのは、聖書の真理をもって、心の穴を埋めることです。
6.最後に
人をカルトから救出するということは、決して容易なことではありません。乗り越えなければならないハードルが多くあります。犠牲も要されます。しかし、家族にとっては、共に学び、共に成長するための絶好のチャンスです。「カルトの問題は、神から与えられた恵みだ」と信じて、頑張ってください。
また、一人で悩まずに、真理のみことば伝道協会のカウンセラーや、既に救出を終えておられる家族に相談してみてください。今の現状が絶望的に見えても、必ず、救いの道が開かれるはずです。