吉沢さん家族の体験1
2012.2.16妻:救出された立場から
私のような者でも、主が愛してくださり、カルトから救い出してくださったことを、心から感謝しています。ここに、元エホバの証人としての経験を少し語らせていただきます。
証人と研究を始める前まで、一度も聖書を勉強したこともないのに、研究がどんどん進むにつれ「これは真理だ。私の歩む道はここしか考えられない」と思うようになりました。マインド・コントロールにばっちりはまっていましたので、どんなものも私をエホバから引き離せないと思っていました。神だと信じていたものが、偽りの組織だったなんて、考えたこともありませんでした。
夫は、私が証人をしていた時から協力的で、大会や集会、奉仕に出掛ける時も、送り迎えをしてくれていました。今思えば、夫が救出をひそかに計画し始めた頃から、日曜日に、午前中は近くの教会、午後は私たちとエホバの証人の王国会館へ一緒に来てくれるようになり、これで夫も、ものみの塔が真理だと解り、エホバの証人となって「うちも神権家族だ」と喜んでいました。
<救出時>
ところが、今年の2月下旬「家族の将来について大切な相談があるので来てほしい」と言われ、夫の弟が借りているというウィークリーマンションに連れて行かれました。楽天家の私は、何の疑いもなくそこに入りました。しかし、そこでは、何年に一度くらいしか会わないような親戚 の人が来ていたり、主人の母に「御免ね。カヨちゃんに意地悪するつもりじゃないんだけど・・・」と言って泣かれてしまった時は、これはただ事ではないと思いました。 夫の険しい表情を見て、すぐに宗教の話だと直感しましたが、真理は勝つと確信していたので、不安ではありませんでした。ウッド先生の話し出しも、問題のある宗教という所からで、ものみの塔(エホバの証人)批判ではなかったので、すんなり話を聞くことができました。
<気付き>
話を聞き始めてから2~3日目くらいになると、問題ないと信じていたものみの塔の組織の偽善が分かり始め、ガラスが崩れるように、私の心も崩れていくように感じました。エホバの証人となって6年、研究生の時も合わせれば約9年も、自分は誰のために何をしてきたのだろうと思うと、虚しさを感じ、頭は混乱、動悸がして夜は眠れず、この先いったい自分はどうなるのか考えられない状態でした。
<キリスト教会>
1週間ほどで脱会する心構えができ、夫と共にそれまでお世話になっていた主宰監督の家に断絶届けを出しに行きました。兄弟姉妹たちが悪い訳ではないのに、もう以前のように会ったり、話したりできなくなると思うと、涙が止まりませんでした。今後のことを考えなければなりませんでしたが、それまで「大いなるバビロン」と教え込まれていた教会へは、なかなか足を踏み入れる勇気が沸いてきませんでした。しかし、聖書の本当の理解が得たいと思っていましたし、夫が「自分に合う教会が見つかるまでいろいろ行ってみよう」と言ってくれたので、断絶届け提出後、次の週から礼拝に行くようになりました。教会も3~4件回りましたが、ある教会では「おたく以前はどこの教会でしたの?」と聞かれ、ちょっと言いにくかったのですが、「以前はエホバの証人だったんです」と言うと、「あらエホバ?あそこは異端だから、相手にしていないのよ」と言われ、涙が出る思いがしました。
あまりエホバの証人について、理解されていないのか、証人時代、戸別 訪問で「うちはクリスチャンで、教会にも通っている」という家に何件も入ったことがあります。しかし、エホバの証人の間違いを気付かせてくれるような的確な質問は受けたことはありませんでした。例えば、「エホバの証人の方は、救われた経験をお持ちですか。聖書の第二コリント6章2節では、『今日は救いの日』とありますようね」とか、「ものみの塔では、御子イエスが被造物であると教えていますよね。聖書の神は、永遠に愛なる方とあるのに、イエスを創造する以前は、父なる神は何を対象に愛を現していたのですか」など・・・。証人が戸口に来た時、多くの質問をしてくださるのなら、本当の神様に出会う証人も多くなると思います。
<救出後>
今の教会は、エホバの証人と研究していた方が何人かいて、経験を聞かせてくださいました。牧師先生も、1年ほど研究してくださったようですが、組織の教えを理解しないので、向こうから研究を切られたとおっしゃっていました。このような教会での交わりに加え、夫の理解と、インターネットの情報、JWTC(「エホバの証人をキリストへ」:中沢啓介先生)の受講、以前証人だった人や研究をしていた人との交わりが助けになっています。特に、JWTCでは、元証人たちの意見を聞いたりすることもでき、共感共鳴できて嬉しくなります。情報もたくさん聞けますし、自分にとっては大変、助けになっています。
<友人関係>
しかし、生活していて一番つらいのは、やはり、以前は仲間だった人たちが、背教者(組織を離れた人間)とは挨拶の言葉も交わしてはならないと教えられているので、ほとんど無視状態にあることです。小学1年の子供と同じクラスの子供を持つある研究生の方と学校の保護者会で会っても、逃げるようにされてしまいます。子供たちも、それまでは仲良しだったのに、ほとんど口を利いてくれないそうです。
仲間や友達だと思っていた人々が、証人をやめたと同時にほとんどいなくなってしまうのは、とても辛く、今でもそれが心に重くのしかかっています。一日も早くみんなが組織の偽りに気付いてくれるよう願ってやみません。組織を抜けたことは間違いではないと分かっていても、証人たちから見れば、私はサタンに引き渡され、悪霊にとりつかれた背教者としか映らないと思うと、証人たちとは会いたくないと思ってしまいます。
ある日の午前中、銀行に用事があり、出掛けたのですが、通る道々「あっ、ここは奉仕の集合場所。あっちでは証人が家から家を回っているのではないか、こっちでは休憩しているのではないか」と思うと、胃が痛くなってきて、さっさと用事を済ませ、自転車をすっとばして帰って来ました。組織は間違っていると伝えたいのに、証人たちには会いたくないという、矛盾した気持ちです。
この暑い最中、汗水垂らして奉仕活動だと言いながら、組織のロボットとなって働いている彼らのために、私はいったい何ができるのだろう。一人になると、いつもそのことばかり考えています。あの兄弟だったら、この姉妹だったら、こう言ったら、こうしたら、少しは聞いてくれるのではないか、と考えたりもします。2~3人に手紙を書きましたが、返事はありませんでした。
<脱会後の生活>
このような心の葛藤はありますが、証人時代と比べると、時間にゆとりをもって、生活できるようになり、子供たちと図書館に行ったり、映画を見たり、家族でキャンプをしたり、先日は、奥渡良瀬の富弘美術館へも行きました。いろいろな考え、経験、話を聞いたり見たりすると、それまで組織によってガチガチに固められていた考え方が、緩やかに幅広くなっていく気がします。「ああ、こんな私でも大丈夫なんだー」と、安心できるようになりました。今までは、古い人格を新しい人格に変えて、24時間エホバの証人で、良い母、良い妻、良いクリスチャンでなくてはと、いつも一生懸命に努力していなくては、エホバ神を喜ばせることができませんでした。しかし今は、ニッコリしている神様の御手の中で、家族が手をつないで安心して生活できているような気がします。
2000年9月 吉沢 カヨ