ものみの塔の新たな偽預言が発覚
2012.2.16ラエリアン・ムーブメント、人間の複製に挑戦
2012.2.16 2000年12月31日に、40年の信仰暦を持つ、一人のエホバの証人の主催監督(アメリカ人)が、ブルックリン本部に対して、辞任状を提出しました。辞任の理由は、ものみの塔聖書冊子協会が、児童性的虐待者の保護地帯になっている、ということです。元主催監督の話によると、組織の上から下に至るまで、児童に対する性的虐待がはびこっており、その問題が発生していない会衆は一つもないそうです。更に、彼は、エホバの証人の子供の三人のうちの一人が、一度は性的虐待を受ける、と推定しています。このような事態が容認されるのは、組織の方針に原因があるようです。会衆内に、長老から性的虐待を受けた子供が長老を告発しても、長老本人が罪を否定した場合、あるいは、二人か三人の証人がいなかったり、証拠がなかったりした場合、審理措置が講じられず、長老は「潔白な人」と見なされることになっています。
「告発されても、もし当人がそのような事実はないと言うなら、長老たちは告発した人に、審理措置は何も講じられないことを説明すべきです。そして会衆は告発された人を引き続き潔白な人とみなすでしょう。聖書によれば、審理措置は、二人または三人の証人がいなければ取ることはできません。(コリント第二、十三・一。テモテ第一、五・十九)たとえ二人以上の人が、同じ人からの虐待を受けた『覚えがある』としても、そうした回想は至って当てにならない性質のものであるため、裏づけとなる他の証拠がない限り、審理上の決定を下す根拠にはなりません。これは、その種の『記憶』が事実無根とみなされる(もしくは事実と見なされる)という意味ではありません。しかし、審理によってある問題を明らかにするに当たっては、聖書の原則に従わなければなりません」(『ものみの塔』誌、1995年11月1日号、28~29頁)。
ものみの塔の方針によれば、長老に対する審理措置を取るために、「二人または三人の証人」や、「裏づけとなる他の証拠」が必要ですが、当然のことながら、児童虐待者は、人のいないところを狙って、子供に手を出します。ですから、「証人」や「証拠」がないのは、当たり前のことです。また、告発された長老が、罪を否定しさえすれば、「潔白な人」と見なされる訳ですから、当然、「私はやっていません」と言うに決まっています。こうして、ものみの塔協会は、児童性的虐待を容認しています。元主催監督の言葉を借りると、「児童虐待者のパラダイス」になっているのです。