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第8章:NARの問題点 その六 「支配神学」
「支配神学」とは?
「支配神学」(Dominion Theology) は、三つの概念に基づいている。
- サタンはアダムとエバを誘惑して、地球に対する支配権を奪ってしまった。
- サタンからその支配権を奪い返すために、神は教会を用いようとしておられる。
- 教会が地球に対する支配権を奪い返し、この世の政治制度、社会制度を征服するまで、イエス・キリストの再臨はない。
支配神学のカギとなる聖書個所は、まず創世記1章28節にある。
「神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ、地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」
ここに書かれているように、アダムは本来、地球を支配する権威を神から授けられていた。しかし、アダムは悪魔の誘惑に負けて罪を犯し、その権威を悪魔に渡してしまった。だからこそ、地球上に様々な災難や不幸な出来事が多発するようになってしまい、この世は神が計画されていた状態から程遠いものとなってしまったのだが、キリストの十字架と復活の勝利によって、状況が一変した。キリストを信じる者がサタンの支配下から解放され、神の国の者とされる。また、キリストの権威をもって世に出て行き、サタンと戦い、サタンの配慮となっている人々を自由にすると共に、サタンが支配するこの世の政治制度や社会制度を再び、神のものにするのだ。言い換えるなら、天の御国をこの地上にもたらす、あるいは、罪が入る前の楽園の状態に地球を戻す。それができたなら、キリストは再び、地球に戻って来られる、ということだ。
シンディー・ジェイコブス氏は、支配神学を次のように説明している。
「神の愛や正義や力が現れている国、政治汚職のない国、貧困層に十分な食べ物や衣類が備えられる国、裁判所で正しい判決が下される国、政府が正しく人々を導く国、すべてのビジネスにおいて倫理が守られる国、現代の流行りの哲学ではなく真理による教育が行なわれる国、私たちはこのような国を地上にもたらさなければなりません。」[1]
有力な使徒とされるチャック・ピアス氏も、その著書 The Future War of the Church: How We Can Defeat Lawlessness and Bring God’s Order to the Earth (未来の教会の戦争:不法に勝利し、神の秩序をこの世にもたらす方法) の中で、更に大胆な発言をしている。
「このように、未来の教会は後の日に支配権を握り、キリストの光を全世界に届け、他のすべての政府を征服します。この準備が整ったら、世の国々が神の秩序に従うように命令すれば良いのです」(31-32ページ)。
ここまで来ると、もはやイスラム法を規範として統治されるイスラム国家・イスラム社会の建設と運営を目指すイスラム原理主義と何ら変わりがない。
キリストの大宣教命令
社会の変革こそがキリストの大宣教命令の究極的なゴールだと、NARの関係者たちは強調している。
「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます』」(マタイ28:18-20)。
一般のキリスト教会は、個人的に伝道して人々を弟子とすることに関する命令として、上記の聖句を受け止める。しかし、NARの理解では、これは国々をまるごとキリストの弟子とすることだそうだ。つまり、少数の人々を信仰に導くことではなく、国々の社会そのものを変えてしまうことだ、というのだ。
また、「主の祈り」の中の、「御国が来ますように」というフレーズは、キリストの再臨によって神の国がこの世に実現することを求める祈りではなく、今、クリスチャンの手によって、この世が天国と同じような状態になることを宣言する言葉となっている。地球のどこかに天国と異なる状態にある場所があれば、それを変えなければならない、御国にしなければならないと、NARの人々は考える。いわゆる「七つの山の制覇」なのだ。
C・ピーター・ワグナー氏によると、キリスト教会は初めからこの崇高なビジョンを委ねられていたが、実現できなかったそうだ。それは、使徒たちによる支配の重要性を認めなかったからだ、という。しかし、今は使徒たちの権威が尊重されて、地域の霊が縛られ、また多くのクリスチャンたちが使徒たちの指示に従って教育界・政界・マスメディア・芸術界・ビジネス界などで活躍できるようになったから、着実にゴールに近付いている、ということだ。
この世は良くなっている?
NARの発想から自然に導かれるのは、「この世は良い方向に向かっている」という結論だ。しかし、世界情勢に関するデータが必ずしも、その結論を裏付けている訳ではない。2018年6月6日の『フォーブス』誌に、「世界のどこがどうしてより危険になっているか」という記事が載っている。その中で「経済と平和協会」(“The Institute for Economics and Peace”、通称IEP)が収集したデータが紹介されているが、昨年、世界の71の国の状況において改善が見られたのに対して、92の国の状況が悪化しているそうだ。IEPは23の項目(戦争、刑務所の収容率、軍事予算、政治的抑圧、近隣諸国との関係等)に関する情報に基づいて、「安全(平和)な国ランキング」を発表しているが、NARの主なネットワークが拠点を置いているアメリカは、163の国の中で、121位に入っている。また、IEPのテーターによると、シリア、イエメン、リビア、アフガニスタンにおける紛争によって、戦場での死者の数や難民の数、及び、テロ事件の数が急増しており、その経済的被害は2017年だけで14・8兆ドルに上るという。
更に、NARの中で中枢的な使徒とされるビル・ジョンソンのベテル教会、及び、ベテル超自然的ミニストリー学校のあるカリフォルニア州レディング市は、アメリカの他の都市と比べて、平均的な犯罪指数は約40%高くなっている。
この他にも、NARの主張と相容れない数々の事実がある。例えば、NARのビジョンでは、キリスト教会がいよいよ教勢を伸ばして、「七つの山」で圧倒的な影響力を持つようになることになっている。また、キリストの再臨の前に10億人の未信者の獲得を見込んでいる。しかし、Pew Research Centerの発表によると、現在、最も早いペースで信者数を増やしているのは、イスラム教だそうだ。2050年までにキリスト教とほぼ同じ信者数(世界人口の約30%に当たる28億人)になると予想されている。
また、NARは征服すべき一つの山として「家庭」を掲げているが、家庭の幸せを脅かすとされる離婚問題、中絶問題、同性愛者の結婚問題等が解決される兆しは全く見えない。
聖書は終末について何と述べているか
聖書は、キリストの再臨の前に人間社会が改善されるとは述べていない。大リバイバルが起こるとも語っていない。むしろ、人々がますます堕落の一途をたどると預言しているのだ。
「しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります」(1テモテ4:1)。
「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです」(2テモテ3:1-5)。
「イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。『お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。』そこでイエスは彼らに答えて言われた。『人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、「私こそキリストだ」と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国々の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます』」(マタイ24:3-14)。
このように、人々は創造者に対する反逆を続けて、その罪を悔い改めないから、キリストの再臨の前に裁かれることになる。キリストはその日のことを、ノアの時代、またロトの時代に例えている。
「人の子の日に起こることは、ノアの日に起こったことと同様です。ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。人の子の現われる日にも、全くそのとおりです」(ルカ17:26-30)。
黙示録にも、終わりの時代における神の裁きのことが鮮明に描かれている。
「天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、山や岩に向かってこう言った。『私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう』」(黙示録6:14-17)。
しかし、驚いたことに、NARの使徒たちは、これらの預言は既に、紀元70年のエルサレムの崩壊によって成就した、と主張している。また、その時以来、神の国が始まったとも言っている。ただ、教会の力不足や使徒職に対する認識不足のために、「七つの山の制覇」ができなかったが、今、ビジョンの実現のための舞台が整えられたという。
再臨に対する二つの姿勢
聖書の終末預言を、これから起こるべきこととして、文字通りに受け止めるクリスチャンは、イエス・キリストの再臨を、罪の世が裁かれ、この世においてキリストの主権が確立される出来事としてとらえる。それは、彼らにとっては、救いの完成を意味する。
「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです」(ピリピ3:20-21)。
「愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします」(1ヨハネ3:2-3)。
「キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです」(ヘブル9:28)。
「ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい」(1ペテロ1:13)。
「というのは、すべての人を救う神の恵みが現われ、私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです」(テトス2:11-13)。
「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」(ヨハネ14:2-3)。
一方、NARの考え方を支持する者は、救いをもたらす方としてキリストを待ち望むのではなく、神の力を与えられた軍隊として立ち上がり、世を変革するために行動を起こすととらえている。使徒たちの指示に従って悪霊を縛り、この世の富を奪い返し、「七つの山」を制覇する。キリストに場所を備えていただくことを期待しているというより、キリストを迎えるのにふさわしい場所として、キリストのために、この世を整えようとしているのだ。