第6章:NARの問題点 その四 「富への執着心」

間もなく富の大移動が始まる?

NARが最大のビジョンとして掲げている「七つの山の制覇」、つまり人間社会の変革を成し遂げるために、膨大な資金源が必要なようだ。そして今、まさにNARの傘下にあるネットワークや教会、指導者たちのふところに、そのような富が流れ込むと、C・ピーター・ワグナーは主張する。その著書 The Great Transfer of Wealth (富の大移動) の中で、同氏は、「これはNARの預言者たちが何年も前から語っていたことだ」と言い、また「旧約聖書のイザヤ書においても預言されていた出来事だ」と述べている(9ページ)。

「あなたの門はいつも開かれ、昼も夜も閉じられない。国々の財宝があなたのところに運ばれ、その王たちが導かれて来るためである」(60章11節)。

更に、聖書において富の大移動の具体的な前例が見られると、ワグナー氏は言う。例えば、出エジプト記3章21―22節だ。

「わたしは、エジプトがこの民に好意を持つようにする。あなたがたは出て行くとき、何も持たずに出て行ってはならない。女はみな、隣の女、自分の家に宿っている女に銀の飾り、金の飾り、それに着物を求め、あなたがたはそれを自分の息子や娘の身に着けなければならない。あなたがたは、エジプトからはぎ取らなければならない。」

今の時代にも、神の民は似たような経験をするそうだ。「エジプト」、つまりこの世から富を譲り受ける。また、神から特別の才能や知恵を与えられて、大成功を収めるクリスチャン実業家も現れる。彼らは、申命記の約束の成就を見る、ということだ。

「あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富みを築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである」(8章18節)。

もう一つ、聖書で見られる富の大移動の例は、エズラ記1章に書かれていることで、ペルシャの王クロスが70年前にエルサレムの神殿から奪われた金や銀の皿などをユダヤ人に返した、という話だ。これと同じように、現代のクリスチャンも、本来、自分たちのもので、世の人々に奪われた富を取り返す、とワグナー氏は言う。

一番大事なものは富?

NARのリーダーたちに根強いのは、成功した人、つまり多くの富を得た人が最も影響力を持っている人だ、という考え方だ。したがって、巨大な富を築くことこそ使徒のしるしであり、また人間社会を変革させるためのカギだと言われる。そのことを最もはっきりと表しているのは、次のワグナー氏の言葉だ。

「巨大な富を手に入れなければ、世を変革させるための神の御手の中の器になることができません。私たちはこのことを強く認識する必要があります。人類の歴史上、社会を変えたのは、暴力と知識と富、この三つのものです。そして、この中で最も大事なのは、富なのです!」[1]

国々の売買?

The Great Transfer of Wealth(富の大移動)の中で、ワグナー氏は2006年に南アフリカを訪れた時にある使徒と交わした次のような会話を紹介している。

「ワグナー先生、ある国を買ってみませんか。」
「はい、興味があります。どこの国ですか。」
「コンゴ民主共和国です。」
「分かりました。幾らほどで買えるのですか。」
「100万ドル(1億円)ほどあれば、間に合うと思います。」

どうやら、コンゴ民主共和国は大事な選挙を控えていたようで、1億円ほどの資金を投入して、クリスチャンの候補者たちを支援すれば、キリスト教国にすることができる、という話だったようだ。クリスチャンが権力を握れば、国で横行する政治汚職、犯罪、紛争、貧困、病気を無くすことができるはずだ、と知り合いの使徒は言う。ワグナー氏は最終的にはその話を断ったが、知り合いの発想の背後に理にかなったものがあると認めた後、こう述べている。

「確かに、選挙によって社会を変革できる。そして、選挙にはお金がかかる」(41ページ)。

シンディー・ジェコブス氏も、インドネシアでの講演の中で、信者たちに向かって、次のような言葉を発している。

「私は、大金持ちになるように、あなたがたを任命します。あなたがたの国のビジネスを握るようになれば、国をコントロールできます。今後、何が起こるか、分かりますよね、もはや、人々は『あのユダヤ人たちは本当に裕福だね』とは言わなくなります。私たちを指差して、『あのクリスチャンたちは何をやっても、大成功するんだね』と言い始めるのです!」[2]

「貧乏の霊」?

富の大移動の実現には、「貧乏の霊」の力を打ち破ることが不可欠だと、ワグナー氏は述べている。この「貧乏の霊」は、ある強力な悪霊のことであって、富に関する誤った考え方をクリスチャンに抱かせているそうだ。つまり、「金持ちになってはならない」、「経済的な豊かさは、堕落した生活を招く」、「クリスチャンは聖く生きるために質素な生活を送るべきだ」というような考え方だ。一般のクリスチャンはこのような嘘を信じ込ませられているが、実際は、貧しさは呪いだ、とワグナー氏は断言する。

更に、ワグナー氏は、「しかし、イエス・キリストは貧しい家庭に生まれ育ち、とても質素な生活を送られたのではないですか」という疑問を取り上げて、説明する。キリストの誕生後、ヨセフとマリヤは3人の博士の手から高価な贈り物を受け取った。ある経済の専門家の話によると、その贈り物の価値は、4億ドル(400億円)になるそうだ。だから、キリストの家庭は裕福だったはずだ、ということだ。

「繁栄の福音」に関する聖書の警告

以上、述べて来たように、NARの使徒たちは富の重要性を強調する。「七つの山」を征服して、人間社会を変革するために、経済力は不可欠だと言う。彼らの考え方に対して、「繁栄の福音」という表現も使われる。イエス・キリストを信じる者は「貧乏の霊」から解放されて、経済的に裕福になれる、という話だ。その聖書的裏付けとして、莫大な富を築いた旧約聖書の人物(アブラハム、イサク、ヤコブ、ダビデ、ソロモンなど)を例に挙げられる。

しかし、その一方で、富を築こうとする人への厳しい警告の言葉もある。

「それから、イエスは弟子たちに言われた。『まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい』」(マタイ19:23-24)。

「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」(マタイ6:19-21)。

「また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。しかし、満ち足りる心を伴う敬けんこそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました」(1テモテ6:5-10)[3]

ここに明記されているように、人間は弱い者で、罪人だ。だから、人間社会の変革にお金が必要だと訴えても、また「富の大移動」が実現したとしても、そのお金が横領されたり、着服されたり、悪用されたりするに違いない。

バランスの取れた考え方

聖書は、誰でも金持ちになれるとは言っておらず、むしろ、「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だ」と警告している。しかし、信じる者に必要なものが与えられるという約束もある。

「私のことを心配してくれるあなたがたの心が、今ついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜んでいます。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、乏しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんあことでもできるのです」(ピリピ4:10-13)。

パウロはいつでも富んでいると述べているのではない。乏しい境遇を経験することもあったが、例えどんな状況の中にあっても、キリストにあって喜び、キリストにあって満ち足りることができたのだ。彼の確信は、いつでも、みこころを行なうために必要なものが備えられる、ということだった。
「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます」(ピリピ4:19)。

パウロはまた、コリント人への第2の手紙の中で、自分の伝道活動を振り返って、「労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました」と語っている(11章27節)。また、コリント人への第1の手紙においても、次のように証ししている。

「今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです」(4:11-13)。

こうして、パウロは、貧しい状況にあっても、そのことによって伝道活動が妨げられることはなかった。だとすれば、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)というキリストの宣教命令を実行するために、必ずしも「富の大移動」など必要だとは限らない、ということになるのだ。クリスチャンは、金銭の力ではなく、あくまでも神の力によって福音宣教の働きを勧めて行くべきだ。詩篇52篇6-8節に書いてあるとおりだ。

「正しい者らは見て、恐れ、彼を笑う。『見よ。彼こそは、神を力とせず、おのれの豊かな富にたより、おのれの悪に強がる。』しかし、この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。」


  1. C.Peter Wagner, Wrestling with Alligators, Prophets and Theologians (Ventura, CA: Regal Books, 2010).
  2. https://www.youtube.com/watch?v=tD6OmQe_t2U
  3. 興味深いことに、C・ピーター・ワグナー氏は、The Great Transfer of Wealthの中で、1テモテ6章7-8節を引用しているが、どういう訳か、9-10節を省いている。