第2章:NARとは?

その名称の由来

NAR (New Apostolic Reformation: 新しい使徒的宗教改革)は、フラー神学校の教授であり、「教会成長」の研究家であるC・ピーター・ワグナー氏が、1994年に世界のキリスト教会の間で勢いを増す新しい流れを表すために提唱した名前だ。「使徒的」は、神によって起こされた使徒たちの指導の下に、聖書の「使徒の働き」に書かれているような神のみわざの再現を表している。「宗教改革」は、500年前に起こったプロテスタントの宗教改革に匹敵するほどの変化を指している。

ワグナー氏は、その著書『使徒的教会の到来』の中で、NARの正式な定義を次のように述べている。

「新しい使徒的宗教改革とは、21世紀の始まりに向けて、世界中のプロテスタント教会に少なからぬ変化をもたらしている神の働きである。過去500年ほど、教会は何らかの形で教団教派という枠組みの中に属しながら成長してきた。兆しは1900年代の初頭から現れ、特に1990年代に明確になってきたが、地域教会の牧会、教会間の関係、経済管理、伝道、宣教、祈り、指導、訓練、超自然的な力の現われ、礼拝などの重要な分野において、新しい形態と方法が現れてきたのだ。それらの教会のいくつかは伝統的な教団に属し、他の大部分はより緩やかな使徒的ネットワークに属している。世界のほぼ全域において、新しい使徒的教会は最も急速に成長している」(20ページ)。

ワグナー氏の主張を裏付けるデータも出ている。何らかの形でNARとつながっている人々が世界中に3億6900万人もいると推定されている[1]。また、ある研究者たちは、今までの成長率が続いた場合、NAR関係の教会のメンバー数はプロテスタント教会のメンバー数を超えるだろう、と見ている。世界最大級のメガ・チャーチの多くは、NARの影響を受けている。韓国にある Yoido Full Gospel Church (100万人の会員)、ナイジェリアにある Redeemed Christian Church of God (500万人の会員)、コロンビアにある International Charismatic Mission (25万人の会員)、ウクライナにある Blessed Kingdom of God for All Nations (2万人の会員) などだ[2]

その実態

NARは教団ではなく、組織でもない。統一された教理体系もない。あくまでも、ワグナー氏の考えに賛同し、自分は使徒だと名乗り、その使徒職が認められた人々を先頭に出来たネットワークだ。主だった使徒として、ワグナー氏(2016年死去)の他に、ベテル教会のビル・ジョンソン氏、ハーベスト・インターナショナル・ミニストリーのチェ・アン氏、モーニング・スター・ミニストリーズのリック・ジョイナー氏、キャッチ・ザ・ファイヤー・トロントのジョン・アーノット氏がいる。彼らはそれぞれ、独自のネットワークもあるが、様々な形で互いに協力し合っている。

一つの組織にならないのは、それなりのメリットがあるからだ。多少変わった伝道法を用いても、聖書から逸脱した新しい教理を持ち出しても、とやかく言われない。自由に行動できる。献金も思いのままに使える。一旦、使徒の仲間入りを果たせば、自分の権威が無限に拡大し、サポーターの数も急増する。

ワグナー氏の考えによれば、使徒の覆い(支配下)に入った教会や個人だけが神の力を受け、この終わりの時代にあって神に用いられる。使徒を認めない教会は、「貧弱なキリスト教」と見下される。

ワグナー氏の上記の言葉にあったように、NARは確かに急速に成長しているようだ。アメリカにNARの使徒に従うことを表明している人が300万人もいると推測されている。チェ・アン氏は、50カ国の25,000の教会の使徒になっているという。ちなみに、各教会から年間収入の5%から10%を献金として受け取っているそうだ[3]

そのビジョン

NARの使徒たちは、巨大な組織を作ることには何の関心もない。開拓伝道をして新しい会堂の建築にもかかわらない。本やCDの販売、セミナーの開催、インターネットを駆使した情報発信によって世界中の教会やクリスチャンに対して影響を及ぼすことをねらっているのだ。具体的に言うと、整えられた軍隊のようにクリスチャンを世に派遣し、様々な奇跡を起こすことによって世の人々に神の偉大な力を見せつけ、人間社会を変革し、イエス・キリストが再び戻って来られるように舞台を用意するということだ。

NARのネットワークにおいて、「七つの山の制覇」が一つのキーワードになっている。その「七つの山」とは、宗教界、家庭、教育界、政界、マスメディア、芸術界(エンターテインメントの世界)、ビジネス界のことだ。つまり、この七つの分野にクリスチャンが侵入し、影響を及ぼし、最後に支配するようになれば、人間社会が変わるだけでなく、大勢の人々が救われるという(ワグナー氏は、少なくとも10億人の人々がクリスチャンになると推定している)。

既に、NARの影響によって、世界の幾つかの町が「生まれ変わった」とされている。グアテマラのアルモロンガ市、アメリカのカリフォルニア州ヘメット市、コロンビアのカリ市、ケニアのキアンブ市がモデルケースとして挙げられているが、地元のクリスチャンたちがNARの使徒たちの指示に従って「霊的戦い」をし、町を支配する悪霊を縛ったために、町の犯罪率が下がり、政治家の汚職事件がなくなり、町が経済的に豊かになり、教会が急激に成長したという。

この「霊的戦い」において、使徒たちは大佐のように命令を下すが、預言者たちも重要な役割を果たす。預言者たちは秘密情報を収集して、大佐(使徒)にそれを知らせる「霊的スパイ」のような存在だ。その「秘密情報」とは、通常、人間には知り得ない情報で、例えば、町のどこに悪霊の働きが活発になっているのか、町を支配する悪霊の名前は何か、等の情報だ。その情報を得た使徒たちは、「どこそこに行って、集中的に祈りなさい」とか、「祈りの中で、○○という名の悪霊を縛りなさい」と命令を出す。こうして、町は市民の社会的運動や政治家に対する働きかけによってではなく、「霊的戦い」によって変革を遂げるという。

実際に、社会学に精通して、社会改善をもたらす具体的なプランや政策を持っている人などいない。犯罪率を下げるためにどうすれば良いか、貧困問題にどう対処すれば良いか、誰も考えていない。いざ、クリスチャンが政治的影響力を持つようになった場合、神が使徒たちに良い知恵を与えてくださるはずだと、彼らは堅く信じているのだ。

その巧みな戦略

前述のとおり、NARの流れに乗り、その「覆い」の下にそれぞれ、自分のネットワークを築いている使徒たちは、いわゆる「教団」をつくろうとしている訳ではない。開拓伝道に対する関心もない。彼らはあくまでも、既成教会やその信者たちに独自の教えを広めて、NARのビジョンに参加するように働きかけ、サポーターになることを勧める。使徒のネットワークに加入する教会は、必ずしも所属する教団を脱退する必要はない。牧師は通常どおりの牧会活動を続ける。但し、使徒から指示があった場合、それに従う義務が生じる。使徒への献金も求められる。

こうして、使徒たちは普通の教団のように巨大な施設の維持費を省き、面倒な記録・書類の作成や保管を最小限に抑え、様々な規約による制限をなくすことができる。また、各教会の細々とした問題に直接かかわらなくても、献金による収入が見込める。実際、教会側は、使徒からの牧会的ケアを望んでいる訳ではなく、使徒の覆いの下にあることによって得られる神の力、祝福、導きを期待していることが多いようだ。俗な言い方をすると、使徒たちのネットワークづくりは、ローコスト・ハイイールドの宗教ビジネスだ。

その魅力(1)

NARのビジョンに共鳴する若者が多い。その一つの理由として、「使徒」や「預言者」の力強いメッセージによって、安心感が得られるからだ。

この世の中が複雑になり、洪水のように情報が氾濫している中で、多くの人々は不安を覚えている。何を信じたらよいか、分からない。多くの現代人にとっては、自分で考えて判断し、自分の人生に対して自分で責任を持つということは、とても苦手なことなのだ。その理由について、様々な説が唱えられている。まず、情報社会が受け身の人間を作っていると言われる。また、詰め込み教育が考えない人間、自分で考えようとしない人間を生み出してきたとも言われている。更に、生活が便利になるに連れて、面倒臭いことには手を出したくない、なるべく楽をしようという若者が増えていると聞く。こうしたことを考えると、現代人は影響されやすく、またコントロールされやすい性質を持っていると言えよう。彼らは、自分の代わりに考え、判断し、責任を持ってくれる宗教団体に魅力を感じるのだ。自信が持てないために、権威をもって単純な説明や回答を示してくれる宗教団体には非常に弱い。神の権威を主張して、「これが絶対に正しい」と宣言する使徒(預言者)がいれば、その言葉に飛び付くのだ。自分で考える苦悩を省くこともできるし、安心感を覚えることもできるからだ。

その魅力(2)

NARの使徒たちは、安心感と共に、若者に生き甲斐を提供している。若者は、教会の礼拝に出て、牧師の話を聞くだけでは満足できない。自分たちで世に出て伝道し、具体的な行動を起こすことによって人間社会を変えたいと燃えている。そのような彼らは、インターネットを通じて、使徒から奇跡を行なうノーハウを伝授してもらえる。地域を支配する悪霊に打ち勝ち、町を生まれ変わらせるための戦術を学ぶこともできる。若者たちにとっては、実にワクワクするような、魅力的な話だ。

青年は理想主義者だ。未成熟であるため、限りない可能性を持っていると考える。それが今のところ、自分が抑圧されて、あるいは認められていないために、発揮できないが、宗教で発揮しようと思っている。中には、エリートコースから外れた人々がおり、自分の生真面目さや熱心さを別の世界で花咲かせたいと切に願っている。彼らは、実社会で挫折したことを宗教の世界でやろうとする訳だ。

  1. R. Douglas Geivette & Holly Pivec, A New Apostolic Reformation? (Wooster, OH: Weaver Book Company, 2014), 9.
  2. 同書、9-10.
  3. ”Ministry Assumptions,” Harvest International Ministry, ( harvestim.org/index.php?a=about&s=membership&ss=ministry-assumptions  ※現在ページへのアクセス不可 )