目次
第10章:NARの問題点 その八 「ニューエイジとの接点」
ニューエイジによって聖書の真理が奪われた?
1970年代から注目されるようになったムーブメント(ネットワーク)として、「ニューエイジ」(新時代という意味)がある。宇宙や生命という大きな存在と自己とのつながりや、人間の持つ無限の潜在能力を強調し、個人の霊性・精神性を向上させることを目指しているが、その思想の実践の中で、様々な超常現象が起こるとされている。その一つとして、「体外遊離体験」がある。肉体離脱体験、幽体離脱とも言われ、心、あるいは魂だけが肉体を離れて活動をする状態を指す。気がつくと自分の肉体のそばに自分が立っていたり、すぐ上の辺りを漂っていたという体験や、遠く離れた場所へ行って見たり聞いたりする体験もある。ニューエイジの祭司と呼ばれる女優のシャリー・マクレーンも、体外遊離体験があると主張している。
また、「チャネリング」という超常現象もある。高次の霊的存在・神・宇宙人・死者などの超越的・常識を超えた存在との交信法、交信による情報の伝達を意味する。チャネリングを行なう人をchannel(チャンネル)あるいはchanneler(チャネラー)と呼ぶ。チャネラーは従来の表現で言えば霊媒に当たる。ニューエイジ信条の多くは、まずチャネルされたメッセージとして定式化されており、チャネリングはニューエイジにおいて極めて重要な意味を持っている。「啓示に基づく宗教」と言っても過言ではない。
更に、「超越瞑想」がある。ヒンドゥー教に由来する瞑想法で、マントラ(呪文的な語句)を15-20分間、心の中で唱えて心を静め、徐々に神経活動を抑え、意識を深みに導くことで、解放された気づきの状態、最高の境地、純粋意識に達することを目的とする。
この他にも、「予知」(精神的心霊現象の一種で、将来起こる出来事を超感覚的に知ることを指す)や、「透視」(超能力者が遠隔にあるものや密封された封筒の中身など見ること)、「テレパシー」(ある人の心の内容が、言語・表情・身振りなどによらずに、直接、他の人の心に伝達されることで、超感覚的知覚の一種)、と呼ばれる超常現象がある。
こうした超常現象は、NARの使徒や預言者によって肯定されている。 “The Physics of Heaven” (天の物理学) の中で、執筆者の一人ジョナサン・ウェルトン氏は、透視、瞑想、チャネリング、体外遊離体験などは元々、聖書に基づいたものであり、ニューエイジによって奪われたものであるから、それを教会が奪い返さなければならない、と述べている。[1] 更に、エレン・ディビス氏も同書で、自身がニューエイジの集会に出て、そこで見た癒しのわざ、神秘的体験、啓示の素晴らしさに感動して、「教会で経験したことのないものだった」と言っている。また、「ニューエイジの思想や実践には、貴重なものがある」とも述べている。[2]
ニューエイジの思想とはどんなものか
ニューエイジに共通しているのは、「すべては一つ、すべては神」という理念だ。これは、汎神論と多神教を合わせた思想であり、これらの思想においては、神々は有限な相対的存在となり、神々も人間も動物もみな質的な違いはなく、また、神は広く万物にわたっており、すべては神の現われだ、という話になる。基本的には、人は神の部分であり、神と一つなのだから、輪廻転生を繰り返しつつ、霊的に向上する、つまり神になる、というのだ。最も大切なのは、神なる自己に目覚めることだとしている。
ニューエイジでは、イエス・キリストは釈迦、マホメット、孔子たちと同様の進化した精霊に過ぎない。また、罪から救ってくださる救い主ではなく、あくまでも模範者だ。そもそもニューエイジにおける救いはストレス(不安や恐怖)からの解放であって、その救いを得るための方法は「より高い自己」との出会いだという。
ニューエイジは、「一つの真理、一つの愛、一つの神、一つの世界、一つの地球、一つの家庭」をスローガンに、あらゆる見解、宗教、主義、運動、個性を包容し、叡智の宝庫を樹立することを通して光り輝く新時代を共に建設して行くことを目的として設立された協会である、としている。[3] 更に具体的に言うと、ニューエイジの思想が地球上の社会のあらゆる分野で教えられ、宣伝されることによって、一つの政治的・社会的秩序が造られる。すべての宗教が一つにまとめられ、この計画に抵抗するクリスチャンは粛清される。
こうして、ニューエイジは極めて、非聖書的な思想を有しているが、NARでは、その思想と実践は「貴重なものだ」とされている。実際に、ニューエイジのあらゆる超常現象が積極的に取り入れられている。ベテル教会で頻繁に起こっている「天国行きツアー」は、体外遊離体験そのものだ。また、祈りと瞑想の中で浮かんで来るイメージに従って行なわれる「宝探し」も、予知や透視との類似点が否めない。頭をからっぽにして、何も考えずに、ただ寝っ転がって何時間も過ごす、いわゆる “soaking in God’s presence” (神の臨在に浸ること) も、ニューエイジの超越瞑想に通ずるものが多いにある。「啓示」も、チャネリングと同質のものだと言えよう。「個人預言」と占いも同類だと見られよう。
どんな結論が導き出されるか
ニューエイジは、イエス・キリストを救い主として認めず、釈迦、マホメット、孔子たちと同様の進化した精霊にし、十字架による罪からの救いを否定してしまう、明らかに聖書の真理を否定するムーブメントだ。NARの関係者は、少しでも調べさえすれば、そのことに気付くはずだ。いくら、「教理を重んじない」NARであっても、ニューエイジの信条を認める訳には行かない。しかし、それにもかかわらず、実際に、NARはニューエイジで見られる体験に憧れたり、あるいは追い求めたりしている。そのスタンスは、完全に矛盾している。「良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます」というキリストのみことばを考えれば分かるように(マタイ7:17)、異端的なムーブメントにクリスチャンの見習うべきものは一つもない。まして、「奪い返さなければならない真理」もないはずだ。
NARの指導者たちにこのような単純な論理が通じないのは、彼らが教理(真理)よりも「霊的体験」を重んじるからだ。繰り返しになるが、次の聖句がそのまま彼らに当てはまると言わざるを得ない。
「不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです」(2テサロニケ2:9-12)。