危機の時に立ち上がる人々
2012.2.16子供に性別を決めさせる親
2012.2.16ルーシーが我が家に来たのは、今から8年前のことです。あるアメリカ人宣教師の家族に飼われていましたが、アメリカに帰らなければならない事情があって、「引き取ってくれないか」と頼まれました。ルーシーはビション・フリゼーという犬種で、羊のぬいぐるみのようで、性格的にもとても優しい女の子です(寂しがりやで、食いしん坊で、小心者でもありますが・・・)。早速、私たちの働きの大きな役割を担ってくれました。尻尾を振りながら、傷ついた心をもってカウンセリングに来た方々を歓迎したり、手をなめたりしました。そのことによって、皆さんは大きく慰められたようです。また、疲れた私たちにも、元気を与えてくれたのですが、年のせいか(8月で12歳になります)、最近、階段を転げ落ちて、すっかり体調を崩してしまいました。食欲もなくなり、散歩に連れて行こうとして抱き上げると「ヒ~」という痛そうな声を出します。また、私たちを避けるかのように、テーブルの下に隠れたりもします。明らかに様子がおかしいのですが、どうしてあげたら良いか、分かりません。獣医さんに相談しても、はっきりとしたことが分かりません。妻が何度も、私に言いました。
「言葉が通じたらなー。」
結局、獣医さんにいただいた痛み止めの薬を飲ませたら、大分、元気を取り戻しましたが、もう少し、ルーシーに活躍してもらわなければ困ると思っています。何とか、そのことを本犬(本人?)に伝えようとしていますが、どこまで私の言葉を理解しているのか、全く不明です。そこで、つくづく思うことですが、言葉によるコミュニケーションは、神が特別に人間に与えてくださった賜物で、神の形に造られた人間と動物との大きな違いがそこにあります。言葉を用いることによって、人間同士の意思の疎通もできるし、神との交わりも可能になります。また、残念なことに、言葉は場合によっては、強力な武器と化してしまうこともあります。
「私たちは舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません」(ヤコブ3章9_10節)。
反省させられる聖句ですが、言葉の大切さを強調する聖書個所が他にもあります。
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい」(エペソ4章29節)。
7年間、ルーシーからも同じことを学ばせられているような気がします。ルーシーは言葉が話せませんが、ボディー・ランゲッジによって終始一貫して、人々に愛情を現わそうとします。そういう意味では、私たち人間よりも、聖書に忠実に生きていると言えるかも知れません。いずれにしても、変わらない態度と言葉によって、神の愛を人々に伝えていきたいものです。。