きよしこの夜
2012.2.16老後の不安
2012.2.16一年の世相を表す年末恒例の「今年の漢字」に「命」が選ばれました。相次いだ子供のいじめによる自殺や秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまの誕生、及び、飲酒運転による事故などが理由にあげられていました。確かに、命の尊さについて、また、命の意味について、もう一度、深く考える必要があると言えましょう。
専門家たちは、今の若者はインターネットで簡単に死体の写真が見られたり、様々なゲームの中で人を殺したりするので、命の重さが分からなくなっているのではないか、と分析しています。そのために、いじめの問題以外にも、六年前から毎年、少年による家庭内殺害事件も起きているということです。
しかし、もう一つ、見落としてはならない問題の原因があります。それは、教育の欠落です。つまり、子供たちは家庭においても、学校においても、「命とは何か」、「人生には何の意味があるか」、「人はどう生きるべきか」などについて、ほとんど教わっていません。そのために彼らは、線路から脱線して、暴走する列車のような状態です。はっきりとした信念・価値観・考え方がないので、自分自身の行動に歯止めをかけることができずに、好き勝手な生き方になってしまうのです。
聖書は、人間の命は神からの贈り物であることを示しています。
「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった」(創世記二章七節)。
この聖句にあるように、私たち人間は生きているというよりも、神によって生かされている者です。そのことに気付いた時に、自分の存在価値が見えてきます。神によって造られた者であるなら、沢山の素晴らしいものを持っているはずです。神の作品ですから、自分自身を過小評価せずに、神のために、人のために、誇りをもって生きることができるのです。
もう一つ、命という贈り物の尊さが分かると、人に対する見方も変わってきます。「私は神の前で貴重な存在だ」と認識する者は、「あなたも神の前で貴重な存在です」と言えるようになります。
田原米子さんという女性がいました。数年前に心臓病で亡くなりましたが、高校三年生の時(一九五四年)に、母親の死がきっかけとなって鉄道自殺を図りました。奇跡的に生命を取り留めましたが、右腕の指三本を残して三肢を切断。死に切れなかったことへの悔しさの中で、虚脱状態が続きます。しかし、入院中に宣教師の訪問を受けて聖書のみことばにふれ、やがてキリストを信じる決心に至ります。更に二年後、牧師志望の青年、田原昭肥氏と結婚し、二女の母親となります。その後、四〇年間、重度の障害を克服して主婦と母の立場を貫くだけでなく、学校、市町村の社会福祉施設や各種の婦人団体などで、「生きるって素晴らしい!」という講演を何千回も行いました。本もビデオも出しましたが、その明るい笑顔と積極的なチャレンジ精神は、今も数多くの人々に深い感動を与えています。
新しい年を迎えました。二〇〇七年、どのように神から与えられた命を用いますか。
「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは良い牧者です」(ヨハネ十章十一~十二節)。
是非、神を見上げつつ、豊かな命に溢れた一年を送ってください。