毛沢東教
2012.2.16人間の遺伝子の不思議
2012.2.16ある中年の男性がテレビのインタビューに答えていました。彼は20年ほど前に、若い実業家として成功し、300億円もの財産を築き上げました。ところが、様々な判断ミスにより会社の経営が悪化し、最終的には無一文になってしまったのです。インタビューの途中で、彼が奥さんと一緒に暮らしている狭い1LDKのアパートの様子が映されました。「実は、今の質素な生活のほうが好きです。300億円を持っていた時よりも、幸せだと思います」と、男性は淡々と語りました。そして、最後に、テレビの記者に向かって、質問しました。
「300億円のお金を持っていた時に、何を考えていたと思いますか。どのように、この300億円を500億円にできるか、ということですよ。」
どうやら、人間には飽きることのない金銭欲があるようです。最近、世間を騒がせている耐震強度疑惑や、ライブドア社の株問題も、人間の金銭欲にその根本的な原因があると言えそうです。
聖書の有名な言葉に、「金銭を愛することが、あらゆる悪の根である」というものがあります(テモテへの第一の手紙6章10節)。また、イエス・キリストも、「富の惑わし」について警告しておられますが(マタイの福音書13章22節)、確かに、私たち人間は富によって惑わされることがよくあります。
「お金さえあれば、何でもできる。」
「もう少し、貯金額が殖えると、安心だ。」
「給料が上がれば、きっと幸せになれる。」
人はこう考えて、富を手に入れるために全盛力を傾ける訳ですが、実は、富によって惑わされています。富は決して万能ではないし、心の平安や幸せを保証してくれるものでもありません。むしろ、人間の心を堕落させるものなのです。
ある牧師が、刑務所の付属病院から、緊急の呼び出しを受けました。強盗罪で拘禁されていた男が危篤状態でしたが、死ぬ前に、どうしても牧師に祈ってほしい、というのです。牧師は病室で聖書の話をして、最後に、男のために祈りを捧げました。ところが、目を開けると、男はもう既に、息を引き取っていました。しかも、彼の右手は、牧師のポケットに入っていた金貨をしっかり、握り締めていたのです。
強盗でなくても、人間のお金を愛する心、富にすがりつく心は、そう簡単には直るものではありません。これは実に、根深い問題であり、罪です。
拝金主義的になっている私たちに対して、主イエスはこう語っておられます。
「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」(マタイによる福音書6章19-21節)。
ここで、キリストは天に宝を貯える生き方を教えておられますが、それはまず、自分の財産が神からの恵みであり、自分がその管理を任せられていることを認識することです。次に、神の栄光と人の益のために、その財産を用いることです。言い換えるなら、それは溜め込む人生ではなく、人に分け与える人生です。これこそ、神が計画してくださった、豊かな人生です。