今年の春に購入した車に、いわゆる「カーナビ」が付いています。内蔵のコンピューターが走っている道を示し、道案内までしてくれます。しかも、毎朝、エンジンをかけると、「今日は○月○日、○○の日です」と教えてくれるのです。この前の8月3日は、「蜂蜜の日」でした。「なるほど」と思いましたが、驚いたのは、その前の日の8月2日の朝です。「今日は八月二日、パンツの日です」と言うので,思わず、笑ってしまいました。一体、誰が、どのような目的で8月2日を、「パンツの日」と定めたのでしょうか。
ところで、あなたにとって、今日は何の日ですか。街の人々に聞くと、様々な答えがかえってくるでしょう。
「今日は、検査のために病院に行かなければならないから、不安な日です。」
「今日は、大事な仕事が待っているから、ストレスを感じる日です。」
「今日は、特別に何もないから、ゆっくりできる日です。」
「今日は、久しぶりに友達に会うから、わくわくする日です。」
この他にも、「元気が出ない日」、「退屈する日」、「寂しさを覚える日」、「上司に怒られる日」など、実に様々な「日」があるでしょうが、聖書はまた、こんな「日」もあると述べています。
「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」(詩篇118・24)。
この聖句によって、「今日」という日に対する、もう一つ、別の見方ができます。今日は、容赦なく私たちを襲う恐ろしい運命ではなく、造り主なる神のご計画の中でのひとこまです。この信仰に立つと、「今日も、神が私のために最善をなしてくださる」と安心して、新しい一日を楽しみ喜ぶことができるようになるのです。
3人の子供を持つ母親が、ワラをもつかむ思いで、あるキリスト教の集会に出席しました。17歳の長男は、筋ジストロフィーのために車椅子の生活を余儀なくされており、他の二人の子供も、情緒的な問題を抱えていました。しかし、子育てのことよりも、深刻な悩みの種となっていたのは、ご主人のことでした。子供の養育に関しては、何の手助けもしてくれません。集会の中で、女性は「夫を殺してください」と祈ろうと考えました。しかし、結局、それができずに、次のような言葉が口から出ました。
「神様、私はカゴの中の鳥です。どうか、私のために出口を用意してください。」
すると、不思議なことに、彼女の心に静かに語りかける、神の声がはっきりと聞こえて来ました。
「カゴの中の鳥さえ歌いますよ。」
とても考えさせられる言葉です。私たちも、たとえどのような環境の中にあっても、くよくよせずに、希望をもって歌うことができるのではないでしょうか。思いどおりに行かないことがあるかも知れません。しかし、そうであったとしても、そこに神の目的があるはずです。元々、主が設けられた日だからです。
今日も、あなたにとって最高の日でありますように。