エステ・サロンの新聞折り込み広告に、そう書いてありました。このような殺し文句を見ると、ついつい引き込まれてしまい、サロンに行ってみようかな、という気にさせられますが、その言葉は、すっきり痩せて美人になれば幸福になれる、という錯覚を起こさせようとしているのです。
しかし、すっきりしなければならないのは、体よりも、むしろ私たちの心ではないでしょうか。私たちの心を重くするものが沢山あります。
例えば、過去の後悔です。足にまとわりついた縄のように、私たちの成長や前進を止めてしまいます。「すれば良かった」、「しなければ良かった」というような反省は、心をドッシリ重くするのです。
また、未来への不安もどうでしょうか。心の重荷になります。年齢と共に色あせていく自分の姿、ふと心をよぎる孤独への恐れ、未来への不安が募ると、自分という洞窟に閉じこもりがちになります。
更に、コンプレックスも重荷になります。学歴、仕事、経済、顔やスタイルなど、ありとあらゆることがコンプレックスの材料になります。コンプレックスというレンズを通 して見ると、自分という者がちっぽけで、価値のない存在に見えてきます。小さな、とても些細なことでも、重荷になるのです。
「あなたの心も、すっきりやせられます。」こんな宣伝をするエステ・サロンがあったら、大繁盛するのではないでしょうか。しかし、実際に、私たちの心を重くしている問題を解決してくださるお方がいらっしゃるのです。そのお方とは、イエス・キリストです。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」(マタイによる福音書11章28-30節)。
この言葉は、非常に大きな言葉です。なぜなら、「すべて」で始まっているからです。「すべて」とは、全世界のすべての人、若者も年寄りも、男も女も、金持ちも貧乏人も、どのような人にも通 じる言葉です。あなたのためにもある約束です。イエス・キリストはあなたの心の重荷を取り除いてくださり、新しい希望や力を与えてくださいます。「救ってください」と、心から祈る者を、心の美人として、新しく生まれ変わらせてくださるのです。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すばてが新しくなりました」( コリント5章17節)。