真の希望
2012.2.16醜い心
2012.2.16「ミス青森」に選ばれた女性の話です。この女性は、青森県の女性の中で、最も美しい女性として、公に認められた訳ですから、自分の勤める会社や周りの人々から、脚光を浴びていました。
ところが、そんなある日、同じ会社の女性が、彼女ばかりが注目の的になるのに嫉妬して、硫酸を手に入れ、彼女の顔にかけてしまったのです。言うまでもなく、美しい「ミス青森」が、火傷のために、とても醜い顔に変わりました。彼女はすっかり生きる気力を失い、自殺を考え、電車に飛び込むため、線路に行きました。ところが、自殺をしようとしたその時に、彼女はふと、幼い頃、教会の日曜学校に行った時のことを思い出しました。自殺はいつでもできると気を取り直して、教会を訪ね、牧師から福音を聞きました。先生の話を聞いているうちに、彼女は人生に対する価値観が変わり、神を求め始めたのです。彼女は、外面 を美しく装うことで、自分の存在価値を人に認めさせようとして、努力してきましたが、心の中は汚れていることに気付いたのです。彼女は、イエス・キリストが十字架にかけられている時の姿と、自分の姿とを比較してみたのです。キリストは十字架の上で血を流されました。あまりにも醜い姿でした。しかし、あの十字架の醜さは、私たちの心の罪の醜さを美しくするための身代わりだったのです。彼女は、外側の醜さよりも、心の醜さのほうが問題だということに気付いたのです。神の前に自分の醜い罪を告白し、イエス様を信じました。
そんなある日のことでした。彼女は偶然、町で硫酸をかけた女性に出会ったのです。その女性は逃げる訳にもいきません。罵声を浴びせられても仕方がない、と覚悟したのでしょう。黙って下を向いてしまいました。ところが何と、その女性の思いとは違って、ミス青森は、女性の両手を取り、笑顔で「ありがとう」と言ったのです。
「えっ、なんですって?」
女性は驚いて、一瞬、自分の耳を疑ってしまいました。ミス青森は説明しました。
「あなたが、私の顔をめちゃめちゃにしなかったら、私はいつまでも、外側の美しさだけを誇りながら、生きようとしていたことでしょう。顔は醜くなりました。でも、心の中は、雪よりも白くされたのです。だから、『ありがとう』、と言ったのです。」
女性は思ってもいなかった彼女の言葉にびっくりして、彼女に心から謝りました。そして、彼女の優しい言葉によって、罪責感から解放されて、平安を得ることができたのです。
私たちも、自分の存在価値を人に認めさせるために、外見を美しく飾ろうとしたり、大きな財産を築こうとしたり、職場や学校で立派な実績を作ろうとしたりしていませんか。しかし、神の前で最も大切なのは、私たちの心です。
「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面 的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです」(第一ペテロ三章三~四節)。
あなたの心は、どんな状態でしょうか。