九転十起生
2015.10.15難民問題を考える
2016.2.26 あるクリスマス・イブに起こった奇跡の話です。アメリカのモンタナ州に住む新婚のケイティーとスティーヴは、夫婦として迎える最初のクリスマスを楽しみにしていました。ところが、11月の暮れに、ケイティーのお母さんが末期癌であるという悲しい知らせが舞い込んで来ました。ケイティーは看病のために、二人の貯金をはたいて、すぐに飛行機に乗り、お母さんのいるアイオワ州に飛んで行きました。夫のスティーヴも、クリスマスの数日前に、合流する予定でしたが、自分の分の飛行機代はありませんでした。教会に祈りの課題を出しました。すると、同じ教会のメンバーのジョーという人で、セスナ機を持つビジネスマンが、「ついでの用事があるから、クリスマス・イブに、うちの飛行機でアイオワ州まで送ってあげるよ」と言ってくれたのです。スティーヴは祈りの答えだと信じて、ジョーの言葉に甘えることにしました。
しかし、12月24日の午後、空港に行って、ジョーのセスナ機を見て、スティーヴは少なからず、不安を覚えました。飛行機に乗るのも初めてだったし、そのサイズも余りにも小さかったからですが、空港の中で、「サイレント・ナイト」が流れているのを聞いて、神が共におられることを確信しました。それに空港は快晴だったし、たった数時間の飛行だから、きっと守られるだろうと思って、セスナ機に乗り込みました。最初の1時間は順調でしたが、そのうちに濃い霧が発生して、全く何も見えなくなってしまいました。そこでスティーヴはまた、不安になりましたが、ジョーはすぐに言いました。
「計器飛行ができるから、心配、要らない。空港の上に霧があると困るけれども、アイオワ州までこの状態が続くことはまずあり得ない。」
ところが、そのあり得ないことが起きてしまったのです。アイオワ州のデモイン空港は濃霧に覆われていました。ジョーは助けを求めようと思って、管制塔に事情を説明しましたが、管制塔の返事は、「空港は、霧のために閉鎖されています。サウスダコタ州の空港に引き返してください」ということでした。しかし、ほとんど燃料が残っていませんでした。そのことを管制塔に伝えても、しばらく返答がありませんでしたが、数分後に、別の男性の力強い声が聞こえて来ました。
「よし、分かった。緊急着陸を許可する。」
ジョーは何も見えない中で、空港を目がけて、少しずつ、高度を下げて行きました。しかし、彼の見当はずれていました。空港から数キロ離れた高速道路の上を飛んでいました。突然、「機体を上げなさい」という男の声がしました。あと、数メートルで、高速道路の標識にぶつかるところでした。再び、男の声がありました。
「落ち着きなさい。私の指示に従うなら、必ず、無事に着陸できる。」
ジョーは答えました。
「了解。じゃ、お願いします。」
男は具体的な指示を出し始めました。
「もう少し、高度を下げて。いや、それは下げ過ぎ。はい、そのまま。今度は、右のほうに機体を傾けて。はい、そのまま真っ直ぐ。そのまま高度を下げて。もう、滑走路が見えて来たでしょう。」
男の言う通り、滑走路が見えて来ました。そして、無事に、着陸できたのです。二人は、親切な男性にお礼を言おうと思って、再度、管制塔に連絡をしました。
「助かりました。適切な指示をしてくださって、本当にありがとうございました。あなたは、私たちの命の恩人です。」
管制塔の人は当惑した様子で言いました。
「何を言っているのですか。私たちは何の指示も出していません。先程も伝えたように、空港は濃霧のために閉鎖されており、どの飛行機に対しても着陸許可を出していないのです。」
二人は顔を見合わせました。そして、二人とも、心底から震え上がるような感動を覚えながら、同時に、「神様の声だった。神様、ありがとうございます」と言ったのです。スティーヴは、空港で『サイレント・ナイト』が流れていたのを思い出しました。まさに、クリスマス・イブの静寂を、神様の声が打ち破り、二人の命を救ったのです。2000年前にも、静かに羊の夜番をしていた羊飼いたちのところに、神様の救いの知らせが響き渡りました。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカによる福音書2章11節)。