820万戸もの空き家
2015.3.3「ライザップ」のコマーシャル
2015.6.26 イザベラ・バードという名前を聞いたことがあるでしょうか。イザベラ・バードは19世紀の女性旅行家、また紀行作家として、世界中の人々に驚きと感動を与えた人物です。明治時代に東北地方や北海道、関西地方を旅行し、その旅行記”Unbeaten Tracks in Japan”(日本語題『日本奥地紀行』)を書きましたが、当時、女性が一人で外国を旅するということは、非常識極まりない話とされていました。しかし、好奇心旺盛なイザベラ・バードは、何のためらいもなく、外国人が足を踏み入れたことのない、未知の世界へと突進して行ったのです。
日本における冒険は、1878年6月に始まりました。最初に横浜に立ち寄った彼女は、早速、東京を起点に日光から新潟に抜け、日本海側から北海道に至る旅を計画します。通訳兼従者として伊藤鶴吉という青年を雇って、日本在住の外交官や宣教師の反対を振り切り、出発しますが、『日本奥地紀行』の冒頭に「私の全行程を踏破した欧米人はこれまでに一人もいなかった」と記し、また「西洋人のよく出かける所は、日光を例外として詳しくは述べなかった」と記して、その旅に対する意気込み、また意味を説明しています。更に、出発前に、片言の日本語を覚えると共に、日本人の礼儀作法を学び、旅先で失礼のないようにしようと、心に堅く誓ったのです。
予想通り、どこへ行っても注目され、珍しがられ、サインを求められ、寝ている間も旅館の部屋の障子の穴に絶えず、人間の目がありました。また、ある宿屋での出来事ですが、せき込むご主人の子供に咳止めの薬を飲ませてあげたところ、見事に治ってしまったので、次の朝、村中の病人が群がって来て、「私たちの病気も治してください」と、せがまれました。通訳者を通して、自分は医者ではないし、持っている薬の種類もごく限られていることを説明し、何とか人々を納得させましたが、日本人との様々な出会いの中で、日本人に対して、良い印象を持ったようです。『日本奥地紀行』の中で、次のように記しています。
「私はそれから奥地や北海道を1900キロにわたって旅したが、全く安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にも遭わず、全く安全に旅行できる国はないと信じている。」
こうして、無謀とも言えるイザベラ・バードの旅によって、日本人の外国人に対する理解も生まれたし、外国人の日本人に対する偏見もいくらか、なくなってきたとも言えます。
聖フランシスコの有名な祈りとして、「平和の祈り」があります。
「私をあなたの平和の道具として用いてください。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところに赦しを、分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらす者としてください。」
敬虔なクリスチャンであったイザベラ・バードも、同じような思いで、日本中を旅したようです。彼女はまさに、キリストの言われたような、「平和をつくる者」でした。
「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」(マタイによる福音書5章9節)。
凶悪事件が後を絶たない今日この頃ですが、平和をつくる者の数が少しでも増えれば、人間社会に対する影響は決して、小さくないと思います。