聖書的な愛
2012.6.21スペイン経済の救世主?
2012.11.9 大津市のいじめ事件のニュース報道を見て、ゾッとした方が多いのではないでしょうか。中学生数人が一人の子を集団リンチしたり、万引きを強要したり、自殺の練習までさせるなど、余りにも悲惨な話です。
「いじめの四層構造」があると言われます。まず、「傍観者」がいます。見て見ぬふりをする人々です。次に、「観衆」がいます。周りで、いじめを喜んで見ているか、はやし立てる人間です。三番目に、「加害者」、実際にいじめをしている人々がいます。四番目に、「被害者」がいます。いじめをなくすためには、「各層」の問題を考え、解決しなければなりません。傍観者は、自己防衛にばかり走ることをせず、勇気をもって言うべきことが言えるようにならなければなりません。観衆は、いじめに加担している責任の重さを感じるようにならなければなりません。加害者は、いじめは許されない犯罪であることを知るべきです。そして、被害者は、自分の存在価値を再確認して、「私はこんな仕打ちに耐える必要はない!」という認識を持ち、助けを求めるべきだと言えるでしょう。
しかし、具体的には、どんな対策を打ち出せば、いじめの件数を減らすことができるのでしょうか。京都府の教育委員会は先月、臨時教育委員会で、いじめ対策を強化する案を示しました。保護者にチェックリストを配布するなど、いじめの早期発見に重点を置いていますが、とても重要なことです。また、生徒間のトラブルを「いじめ」と認定するかは、被害生徒の立場で判断する動きも出て来ています。しかし、言うまでもなく、学校がいちばん取り組むべき問題は、生徒への教育です。命の尊厳、人としての正しい生き方や価値観や道徳などを、教員がただ教科書的に教えるのでなく、身をもって模範を示すことが重要です。また、一人一人の生徒の個性を尊重し、ユニークな才能を引き出し、彼らの存在を認めてあげることにも、大きな意味があります。いじめには様々な要因が考えられるでしょうが、その一つとして、子供にとっては、学校は競争社会です。他の子供よりも良い成績をあげて、認められようとする中で、どうしてもストレスが溜まります。自分の将来に対する不安も覚えます。そのストレスや不安が直接、いじめにつながる訳ですが、自分の親、あるいは先生からほめられ、認められ、精神的に満たされ、良いセルフ・イメージを持つようなると、クラスメートの存在価値を尊重できるようになるのです。
イエス・キリストは次のような言葉を言われました。
「心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです」(マタイの福音書12章34-35節)。
極めて単純な原則ですが、いじめ問題の核心をついています。心が良いもので満たされている人は、他人を罵ったり、危害を加えたりしません。しかし、自尊心が低かったり、自信がなかったり、欲求不満があったりして、心が不健全な状態にある人は、必然的にも、その苦々しい思いを人にぶつけてしまうのです。
こうして、いじめは根の深い問題ですが、次のような聖書個所が各学校で掲げられたなら、事態が大きく変わるのではないかと思います。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節)。